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「日本の筋トレ」と歩んだ34年・後編。
身体を動かす愉しさを知った日本人。
posted2019/03/17 11:05
text by
増田晶文Masafumi Masuda
photograph by
AFLO
私は筋トレ歴34年、20代半ばから還暦ちかい現在まで、ようもバーベルの上げ下げに熱中してきたものだ。
そこまで魅了されたのはナニゆえか?
ウウムと腕を組み(さりげなく上腕二頭筋の発達をチェックしつつ)、深く思索にふける。
筋肉を鍛え、体型をつくりあげる行為は盆栽に似ている。
エラそうにいえば、肉体は小さな宇宙。それを意志と人為で改造していく。肉体という神があたえた造形物に対するチャレンジともいえそうだ。こういう、自然を征服しようという無謀で僭越なたくらみは実に西欧的で、モダニズムとシンクロする。
一方、筋トレはきわめて孤独でシンプルな作業でもある。理想の身体をつくりあげるには、何年ものスパンで取り組まねばならない。
壁に向かって9年、禅の修行と同じとはいわないけれど、筋トレのもつ精神性は誰もが認めるところだろう。
私は“筋育”の才に恵まれなかった。過剰な筋肉をまとうには天賦の資質が必要になる。私が落ち着いたところは、痩せマッチョでしかない。若かりし頃には歯がゆさ、劣等感もあったけれど、40代ともなりぬれば、己の資質を反映した筋肉づくりに納得できるようになった。
自然に挑むのではなく、寄り添う――筋肉を過酷にイジめ抜くことを、東洋的で内的な作業だと考えるようになった。
さて、前回に引き続き「筋トレ歴34年のオッサン(私のことです)がみたフィットネス史」を語るとしよう。
バブル崩壊はフィットネスにも影響した。
1980年代、日本にもフィットネスブームが巻き起こり、フィットネスクラブが市民権を得るようになった。
その後、'90年代はバブル経済の崩壊でフィットネスクラブの淘汰と合従連衡が進んだ。
私の筋トレ黎明期の拠点だった「エグザス青山」は閉店、経営母体のスーパーのニチイ(マイカル)はエグザス部門をコナミスポーツに譲った。丸紅が手掛けた「レヴァン」だって、サントリーの経営する「ティップネス」に吸収されてしまう。
そのティップネスも、後々にはサントリーの手を離れ日本テレビグループ入りする。本来はスポーツ、健康にさほど縁のない企業がフィットネスに群がっている実態がわかろうというものだ。