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スケボーではいま日本の4番手。
平野歩夢は五輪より「楽しむこと」。
posted2019/03/19 18:00
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
Asami Enomoto
3月15日、大会前日の鵠沼海浜公園は、平日とあってまだ人影もまばらだった。
インラインスケートを楽しみにきた大人たちやビギナーズエリアでえっちらおっちら練習するキッズの姿が、湘南の海をバックにのどかな雰囲気を作り出していた。
そんな風景に溶け込むようにして、平野歩夢は白いTシャツ姿で調整に励んでいた。
弟の海祝(かいしゅう)らと話しながら、時おり白い歯をのぞかせる。すでに数台のテレビカメラが一挙手一投足を追いかけていたが、それを特別気にするでもない。その表情が雪上にいるときよりもぐっと身軽に感じられたのは、分厚いスノーボードウエアを脱ぎ去ったせいばかりではないように見えた。
平野の父・英功さんが以前に言っていたことがある。スノーボードの大会に息子を送り出す心境についてだった。
「腕1本、2本の覚悟はしている。命だけは何とか取らないでくれと思っている。今はそういう領域の技をやっているから」
スノボは楽しいより苦しい。
平野自身も同じように考えていた。
「(スノーボードでは)楽しいより苦しいことの方が全然上回っている。楽しくやるんだったらコンテストライダーではいられない。楽しさ以上に自分を追い詰めてまでやらなきゃいけない部分を感じている」
実家が地元でスケートパークを運営していたため、4歳からまずスケートボード、それからスノーボードを始めた。
初めから大それた目標があったわけではない。子供の戯れに始まり、カッコよくなりたい、もっと高く跳びたい、あこがれの選手と戦いたい、と段階を踏んで成長してきただけだった。