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<地方大会が生む奇跡>
3年連続決勝で敗れた、光星学院悲運のエース。 

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高川武将

高川武将Takeyuki Takagawa

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posted2016/06/30 10:00

<地方大会が生む奇跡>3年連続決勝で敗れた、光星学院悲運のエース。<Number Web> photograph by KYODO
高校球児の夏は1敗で終わる。ここで勝てば――。その想いは全国大会よりも熱い。だからこそ奇跡のような一戦が生まれ、そして、ふるさとで語りつがれるのだ。

 悲運のエースという言葉がこれほど真に迫る投手はいない。青森光星学院の左腕、洗平竜也は1年からエースとして3年連続夏の県大会決勝にチームを導くが、ことごとく敗れ去った。1年時の'94年は八戸に延長10回6-7で敗退。味方に5失策があった。翌年は青森山田に延長10回2-4で敗退。光星はサヨナラ勝ちの好機を逸していた。最後の夏は、弘前実に7回表まで4-0とリードしながら、その裏にテキサス性のヒット3本などで同点とされる。すると8回裏、先頭打者に死球を与えた洗平は、突然ベンチに戻り、金澤成奉監督(現・明秀日立監督)に自ら降板を願い出た。その後、2点を奪われ逆転負け。試合後、号泣する選手たちの中で、泣くこともなく呆然自失の洗平の表情を見た金澤は痛感する。

「17歳の子供に全てを背負わせてしまっていた。なぜ気づいてあげられなかったのか」


 この年、学校創立40周年の光星は断トツの戦力で初出場が確実視されていた。1年から一人で投げ抜いてきた洗平は青森のスター的存在で、「今年こそ」という学校や県民上げての期待が集まった。六戸の農家に生まれ育った純朴な少年はその重圧に負け、前年11月に赴任したばかりの29歳の青年監督は悔恨に咽ぶ。「当時は勝つことしか考えていなかった。子供らの思いを感じる余裕がなかった」。これが監督人生の原点になる。「勝つことは目標だが人間教育こそ目的」という根本理念に立ち、翌年の春から3季連続甲子園出場を果たす。悲運のエースは悲運だったからこそ、途轍もなく大きなものを残したのだ。

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<地方大会開幕特集>甲子園を夢みる夏。
洗平竜也
金澤成奉
光星学院高校

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