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「4番・岡本和真」ついに結実の年。
原・高橋両監督はどう育ててきた?
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKyodo News
posted2019/02/16 11:30
宮崎キャンプで大いに話題となった、岡本和真が紅白戦で放った特大2ランホームラン。
「4番・岡本」をなぜ我慢したか。
去年の岡本は開幕2試合目の阪神戦で4打数4安打1本塁打、5打点という大爆発を見せると、翌日の第3戦でも2試合連発の2号本塁打。その後も3~4月は3割3分、5本塁打、5月も3割3分2厘で4本塁打とコンスタントに結果を残してきていた。
この結果で開幕では6番を打っていた打順も、4月12日のDeNA戦から5番に上がり、5月11日の中日戦では3番へと昇格した。その後も相手投手や状態を見ながら5番と3番での起用が続いていたのだ。
もちろんチーム内では「4番」という声がなかったわけではない。
ただ、高橋監督の中では岡本を4番に据えるときは、どんなことがあってももう外さない「不動の4番」にするときだという思いがあった。
そしてチャンスをうかがいながら決断の時を迎えたのが、6月2日だったのである。
なぜ32打席連続無安打になったのか。
京セラドームでのオリックス戦。
満を持して「4番・一塁」で起用された岡本は、2回の第1打席にいきなり左越え本塁打を放って、起用に応えてみせた。その後10試合も40打数16安打の2本塁打、打率4割という結果を残し「4番」起用は大成功のように思えた。
ただ、である。
結果は出ていたが、ちょうどこの頃からプロ入り以来、初めて開幕から一軍でフル出場を続けてきた影響で肉体的には疲労のピークに達していた。その結果、少しずつスイングが鈍くなってきていた時期でもあったのだ。
そのつけが一気に噴き出したのが、この32打席連続無安打だったわけだが、このピンチで岡本を支え続けたのは高橋監督の我慢だったのである。