“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
高校選手権優勝の陰のMVPでは!?
青森山田・天笠泰輝に絶賛の声。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/01/28 08:00
攻守ともに青森山田のキーとなるプレーを連発していた天笠泰輝。大学卒業後のプロ入りが待ち遠しい。
「『過去最低のボランチだ』とまで」
自分の課題が浮き彫りになったことで相当戸惑ったというが、ここで黒田剛監督は天笠に厳しく接した。
「青森山田のボランチと言うのは、非常に多くの事を要求されるポジション。天笠のスキルがあれば十分にできるとは思っていたけど、当初は守備時の動き方が分からなくて、攻撃に出たらアンカーのポジションに戻ってくる事ができない場面があった。
ちょっと自分のスピードを緩めて、守備をさぼってしまった場面もいくつかあった。そういうシーンをいくつか見ている中で、私も彼に厳しく当たったわけです。『過去最低のボランチだ』とまで言いましたね」
その年の夏まで、本当に彼はこの課題に苦しめられた。
コンディションもトップフォームに上がり切っておらず、彼の良さをなかなか発揮できない日々が続いた。だが、この苦しんだ期間は後に彼にとって大きな財産となるのだが……このときのプレーに対して周りの評価は高くはなかった。
だからこそ、Jリーグから声はかからなかったのだ。
さらに5月には法政大の練習会にも参加したのだが、下された判断は「不合格」。
「郷家さんに追いつきたくて、高卒でプロになりたかった。でもそれが厳しいと早々に諦めて、大学進学に切り替えました……。でも、法政大がダメだった事を知らされたときは本当にショックでした……。それを告げられた直後に1人雨の中、学校のグラウンドを走って、『高卒プロなんて絶対に無理じゃないか。俺はここまで落ちてしまったのか!』とショックで泣きながら走っていました。正直、法政大に落ちた事は恥ずかしくて、最初は親に言えなかったくらいです」
「ここで腐ったら恩返しができない」
そんな中でも、関西大は彼を高く評価し、最終的に進路は決まった。だが、彼の中では「これで良し」とはならなかったのだ。
「今のままでは関西大に行っても、活躍する事は難しいと思う。
郷家さんとも相談したのですが……僕はもっと守備を磨いて、ボールを奪ってから攻撃を組み立てられるようにならないといけない、ということでした。
攻撃に出た後にすぐに的確な守備のポジションに戻って、また出て行く事を繰り返す事ができる選手にならないと、上で活躍できない、と。
郷家さんは卒業してからも僕のことを気に掛けてくれて、ここで腐ったら、恩返しができなくなってしまうと思いました」
6月、天笠はオフの期間を利用して青森を訪れていた郷家と食事を共にした。
すでに神戸で活躍していた尊敬する先輩との会話は、彼の心を癒し、同時に向上心に火を点けたのだという。
この時から、天笠は驚異の成長を見せ始めた。