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吉田沙保里が引退を決意するまで。
「キャスターよりバラエティの方が」 

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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photograph byAsami Enomoto

posted2019/01/11 17:00

吉田沙保里が引退を決意するまで。「キャスターよりバラエティの方が」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

最初に引退の報告をしたのは母親の幸代さんだった。「『ご苦労さん』と。『あなたが決めたことだから』と母から言ってもらいました」。

負け試合を異様なほど忠実に再現。

 ただ、面白いもので吉田には勝った試合について鮮明な記憶は残っていない。会見で筆者が「最後に会心のタックルを放ったのはいつか?」という質問を飛ばすと、彼女は首を傾げた。

「えっ、誰(が相手の試合)ですかね。ちょっと記憶にないです。タックルし過ぎて。ヘレン選手が最後に闘った選手ですけど、会心のタックルはできなかったのでその前(準決勝で)闘った時かもしれない」

 対照的に2008年1月19日、中国で行われた国別対抗戦の『ワールドカップ』で吉田はマルシー・バンデュセン(米国)のタックル返しにひっかかり敗北。連勝記録を119でストップされた一戦については、克明に覚えていたことを記憶している。

 帰国後、中京女子大(現・至学館大)で行われた会見で、吉田はまるで会場の天井に特製カメラを備えつけたがごとく、詳細に自分がやられた攻防を実演してみせた。

 一流アスリートであればあるほど、攻防の捉え方や記憶の仕方が一般人とは基本的に違う。この時ほどそれを実感したことはない。

「若い選手たちが世界の舞台で勝つ姿を」

 そんな吉田も、ついにマットに別れを告げる日がやってきた。

 迷いがなかったといったら嘘になる。案の定、昨年まで吉田は東京オリンピックを目指すかどうか悩んでいたと打ち明ける。

 引退を決意したきっかけのひとつとして次世代の台頭があったことをあげた。

「若い選手たちが世界の舞台で勝つ姿を多く見るようになり、女子レスリングを引っ張ってもらいたいという思いになりました。そして改めて自分自身と向き合った時にレスリングはもう全てやり尽くしたという思いが強く、引退することを決意しました」

 昨年、レスリングの強化合宿で現役の第一線と吉田がスパーリングする場面を目撃した。

 最初吉田はキャリアにものをいわせ、互角以上の攻防を見せていた。しかし、スパーの本数を重ねるにつれ失速。スタミナの差で守勢に回る場面が目立っていた。

【次ページ】 「もう自分はやりきったと」

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