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吉田沙保里が引退を決意するまで。
「キャスターよりバラエティの方が」
posted2019/01/11 17:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Asami Enomoto
来場者約200名、スチールカメラ34台、ムービーカメラ28台、記者数69名。
1月10日、都内のホテルで行われた吉田沙保里の引退会見は報道陣でごった返していた。過去にアマチュアレスラーが引退会見を行った例はあるが、ホテルの大広間を使って行われた例はない。レスラーとしては異例とも思える会見の規模は、吉田の影響力の大きさを如実に物語っていた。
戦後、日本のレスリングは“お家芸”と言われ続けてきた。オリンピックになると、メダル量産を期待できるからだ。しかしながらスポットライトが当たるのはオリンピックの時のみ。それ以外でレスリングが注目される機会はほとんどなかった。
日本レスリングの父・八田一朗はライオンと睨めっこさせたり、夜中に叩き起こして練習させたりする破天荒な指導で話題を集めた。いわゆる“八田イズム”だが、それは八田の「どんな手段を使ってでもレスリングをマスコミに取り上げてもらおう」という計算もあったうえでのパフォーマンスだった。
そんなレスリングが置かれた状況を吉田は劇的に変化させた。
「キャスターよりもバラエティの方が」
ロンドンオリンピックでV3を達成したあたりからテレビのバラエティ番組へ頻繁に出演するようになり、気がつけば彼女の顔を見ない日はないと思えるほど露出度の高いスポーツタレントになったのだ。
もちろんそれは吉田が本来持つ「出たがり」という部分にも起因するのかもしれない。会見でキャスターへの転身を薦められると、吉田はやんわりと拒否した。
「私は結構バラエティとかそういうのが好きで、結構テレビにも出させていただいている。とにかく笑顔でいることが好きなので、キャスターというよりもバラエティの方が自分には向いているかなと思います」