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吉田沙保里が引退を決意するまで。
「キャスターよりバラエティの方が」 

text by

布施鋼治

布施鋼治Koji Fuse

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photograph byAsami Enomoto

posted2019/01/11 17:00

吉田沙保里が引退を決意するまで。「キャスターよりバラエティの方が」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

最初に引退の報告をしたのは母親の幸代さんだった。「『ご苦労さん』と。『あなたが決めたことだから』と母から言ってもらいました」。

日本の五輪の象徴だった吉田。

 選手としてのピークは2012年のロンドンオリンピックで金メダルを獲得した時だったか。試合後、日の丸をマントのようになびかせながらスカイブルーを基調にしたシングレット(レスリングの上下一体型ウェア)に身を包んだ吉田はマット上を疾走した。この場面はロンドンオリンピックのハイライトとして我々の脳裏に刻み込まれている。

 吉田に初めて陰りが見えたのは、2015年9月、ラスベガスで行われた世界選手権に出場した時だった。

 ソフィア・マットソン(スウェーデン)に2-1で辛勝して通算16度目の世界一に輝いたあと、吉田は涙を見せながら本音を口にした。

「負けるんじゃないかと不安だった」

 優勝した大会でこんな吉田の姿を見るのは初めてだった。忍び寄る衰えを実感したのだろうか。

 そして迎えた翌年のリオデジャネイロオリンピック。準決勝まで無失点で勝ち上がってきた吉田だったが、決勝ではヘレン・マルーリス(米国)が見せた徹底したタックル封じ(吉田の手を掴んで離さないなど、吉田がタックルを狙える距離を殺していた)に攻めあぐみ、4-1で敗北した。

「勝って当たり前」と世間も思っていた。

 引退会見で最も印象に残る試合を問われると、吉田は結果的にラストマッチとなったこの一戦をあげた。

「もう組んだ瞬間、圧力と勢いが本当にすごかった。私も4連覇したいという思いが強かったけど、あの時はやっぱりヘレンの『どうしても勝ちたい』という思いの方が強かったのかと思います」

 個人戦では206連勝をマークするなど、吉田にはつねに常勝というイメージがつきまとっていた。

 勝って当たり前。

 少なくとも世間はそう見ていた。

【次ページ】 負け試合を異様なほど忠実に再現。

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