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最強東福岡のCBは今、ビール営業中。
千代反田充が思う「選手権」の魔力。
posted2018/12/29 18:00
text by
菊池康平Kohei Kikuchi
photograph by
Kohei Kikuchi
全国高校サッカー選手権を目指してボールを追ったが、こたつでミカンを食べながらTV観戦――筆者はそんなサッカー人生だったが、高校時代に同じような状況で選手権を見て、今ではキツかった練習を思いだしながら中継を見る元サッカー小僧は多いのではないだろうか。
今も昔も高校サッカー選手権に出られるのは全国で48校のみ。選ばれたティーンエージャーだけが戦える、特別な舞台である。
今回で97回を数える同大会の中で、ファンなら忘れもしない大雪の国立決戦となった東福岡vs.帝京。その試合を戦った東福岡の主力メンバーの1人だった千代反田充は、現在アサヒビール株式会社で営業として活躍している。そんな彼にサッカー人生の紆余曲折と社会人生活、そして高校サッカーで得たものを語ってもらった。
「東福岡では1つ上に本山雅志さん、古賀誠史さん、手島和希さんなどの上手い選手がいてびっくりしました」
千代反田は高校時代のことを、懐かしそうに振り返り始めた。
豪華メンバーだった東福岡。
当時の東福岡高校と言えば志波芳則監督がチームを強化し、全国的な強豪として知られつつあった頃。「試合をやっていれば自然と体力はつくという志波の方針で素走りしないなど、先進的な練習スタイルで、部内の雰囲気も居心地も良かったという。
「先生は、部活によくありがちな上下関係が好きではなかったと思います。上級生に対する言葉遣いは必要ですが、それ以外は細かいことは言われませんでしたし」
志波の熱心な指導のもと高2の春先からスタメンを勝ち取った。 当時は、後にワールドユース日本代表で3バックの中央を務めた手島和希、千代反田の同級生の金古聖司らが並ぶ豪華な最終ラインだった。
「僕はサイドバックができないので、スピードもあった手島さんが左サイドバックに入り、僕は金古とセンターバックに入りました。右サイドバックの山崎理人もプロになったんですよ」
手島のポジションをコンバートするほど志波は千代反田を評価していたのだろう。千代反田が高2の時、チームは選手権など三冠を達成した。各ポジションに優れた選手がいたが、特に素晴らしかったのはエースの本山だったという。
「本山さんは本当に凄かった。ドリブルができて、パスも出せるし、ゴールもたくさん取れる。すべてを兼ね備えていたんです。練習で1対1をやった際に『金古の間合いはいいけど、チヨの間合いはダメ』と言われて悩んだときがありました」