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最強東福岡のCBは今、ビール営業中。
千代反田充が思う「選手権」の魔力。
text by
菊池康平Kohei Kikuchi
photograph byKohei Kikuchi
posted2018/12/29 18:00
スーツ姿でサッカー人生と社会人生活を語る千代反田充。彼のセカンドキャリアは始まったばかりだ。
雪の国立は楽しかった。
高2の選手権で印象深かった試合は3回戦の国見戦だった。「満員の三ツ沢の観客の中、お互いにやりにくかったけれど、無失点でしっかり勝ったのがディフェンダーとしても嬉しかったんです」と話した通り、2-0の勝利。注目度が上がる中でも、重圧を感じるどころか楽しんでプレーしていたのだという。
「ずっと勝っていたので緊張も不安もなかったですね。決勝で雪が降ってきたのも『楽しいね』みたいな感じで、怖いものなしでした。志波先生が言っていたように『雪のお陰で帝京のドリブラーの木島さんが抑えられたのでラッキーだった』ですし、楽しめました」
雪の決勝を制しての、三冠獲得。知名度が一気にアップして人生が変わったのではないだろうか。そう筆者が質問をぶつけると、千代反田はこう回想した。
「博多駅で開催されたセレモニーには人がたくさん来てくれました。こんなにも地元の方々に応援して頂いていたということをその時にはじめて知りました。当時は今ほどネットも普及してませんでしたから。でも特に人生は変わりませんでしたよ。また次の年の試合が始まるので、すぐに元に戻りました」
翌年はインターハイの1回戦で敗れるなど、少し苦しんだ時期もあったが、選手権で連覇を果たし、千代反田の名前はさらにサッカー関係者に知れ渡った。
Jリーガーか、大学進学か。
そしてプロの道に進むか大学進学か、大きな決断の時がやってきた。
「ビッグクラブを含めて5つのJクラブからオファーがありました。ただ、親の希望もあり『教員免許をとって大卒の資格もあった方がいい』と大学進学を勧められました。親は自分を見て冷静な判断をしたのかもしれません。最終的に、大卒でプロになれないなら、高卒でJリーガーになってもサッカー人生は長くはないのでは、と思い進学を決断しました。ただ自分が大学生の間、父親はもやもやとしていたらしいです」
とはいえ人生には「たられば」はなく、選択の連続である。千代反田は筑波大学でサッカーに励み、卒業後に当時J2のアビスパ福岡に入団した。
「J2の福岡からプロキャリアを始められたのは運が良かったんです。早い段階で試合に出場できたので。試合に出られないと下のカテゴリーに行くしかないじゃないですか。でもJ2で試合に出ていたらJ1に昇格できたり、オファーを頂いたりするんです」
アビスパでJ1昇格に貢献後、真っ先に声を掛けてくれたアルビレックス新潟へ移籍。新潟では3シーズン活躍した。Jリーガーとしては成功の部類と言っていいだろう。