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千代反田充が思う「選手権」の魔力。
text by
菊池康平Kohei Kikuchi
photograph byKohei Kikuchi
posted2018/12/29 18:00
スーツ姿でサッカー人生と社会人生活を語る千代反田充。彼のセカンドキャリアは始まったばかりだ。
出番の減少と、J1昇格に貢献。
しかし2010年、新潟から名古屋グランパスへの移籍がターニングポイントとなる。J1制覇に貢献したものの出場機会は減少、その後に移籍したジュビロ磐田でも年間で7試合の出場にとどまった。
「どこにいっても使われるスーパーな選手だったら良いですが、僕はそうじゃなかった。監督やチームメイトによって持ち味が出せる、出せないが変わるレベルの選手だったんです」
当時の心境をこう語った。それとともに周囲に気を配る千代反田らしいエピソードもあった。
「加入した時はスタメン出場を期待されている状況でしたが、去る時はディフェンダーの3番手か4番手。年齢も年俸もそこそこ高く、居座るのは迷惑をかけるかなと思い退団しました。今考えると、変なお人よしを出してしまったなと思います」
ただ、千代反田のサッカー人生はそこで終わらなかった。J2の徳島ヴォルティスに加入。2013年にはJ1昇格プレーオフの決勝戦でゴールを挙げ昇格に貢献したのだ。
「ケガであまり試合には出られていなかったのですが、J1に上がれたので最後の仕事はできたかなと思います」
引退直後、覚えた不安。
2014シーズン後に契約満了となり34歳で徳島を退団した。合同トライアウトに参加し、現役続行の道も探ったがスパイクを脱ぐ決断をした。
「今は40歳手前までプレーしている選手が増えていますが、当時は30歳を超えたらベテランという扱いでしたよね。それに勝手に影響を受けて、自分で引退の線を決めてしまったのかもしれません。就職活動をするにも35歳までに動いた方が良いのではないかと、こちらも自分で線を決めていました」
ヴォルティス徳島のホームページに「引退のコメント」を出してもらった後の1週間はほとんど眠れず食事も摂れなかった。セカンドキャリアを考えて、不安を覚えたのだ。
これまでの千代反田の選択は、全てサッカーのことを考えてのものだった。しかし引退直後は「サッカー」という絶対的なものがなくなり、何を選択していいのか見当がつかなくなった。
「後悔はありませんでしたが、『これから何しよう?』『サッカーしか続けてこなかったのに本当に辞めるの? でも発表したしな』と今後の不安で頭の中がグルグル回っていました」