“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
C大阪有望株が小嶺先生の愛弟子に。
鈴木冬一、1度きりの選手権挑戦記。
posted2019/01/07 16:30
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
かつてU-21日本代表のMF神谷優太(現愛媛FC)、U-19日本代表のFW中村駿太(現ザスパクサツ群馬)が強豪Jユースから、高校最後の年に高校サッカーへと“電撃移籍”した(神谷は東京ヴェルディユースから、中村は柏レイソルU-18から→青森山田高)。
2018年3月にもまた電撃移籍があった。関西の強豪・セレッソ大阪U-18からMF鈴木冬一(すずき・といち)が長崎総合科学大附属高に移った。
鈴木は2人と同じく年代別日本代表で、2016年にはU-16日本代表としてAFC U-16選手権を戦い、一昨年は久保建英(現横浜F・マリノス)、中村敬斗(現ガンバ大阪)らとともにU-17W杯(インド)に出場。グループリーグ3試合と、死闘となった決勝トーナメント初戦のイングランド戦の全4試合に出場、うち3試合はスタメンだった、この世代のトップランナーだ。
そして、2人と大きく異なるのが「2種登録選手」であることだった。Jクラブの下部組織の選手は、2種登録すればトップチームの公式戦に出場できる。現に鈴木はC大阪U-23としてJ3リーグに3試合出場している。
そんな選手がなぜ高校最後の1年でこのような大きな決断をしたのか。そこには神谷、中村と同じように大きな葛藤と不退転の覚悟があった――。
J3の試合に出ているが……。
彼の決断のきっかけとなったのが、年代別日本代表での活動とU-17W杯だった。
「正直、代表で同じチームメイトや、イングランドなど世界トップの選手の力を見て、自分が技術的にも精神的にも遅れていると感じた」
自分の中で“停滞”の2文字が浮かんだ。そんなもやもやを抱えながら、彼は2017年を過ごした。
世界を経験し、2種登録し、J3だがプロの試合に出場できた。だが、何かが違う。
端から見れば順風満帆のサッカー人生に見えるが、逆にそれが自分の可能性を狭めているのではないかと疑念を抱いた。そう、彼の目には敷かれた人生のレールが少し見えてしまっていた。
「正直“このまま行ったら、僕はこうなるんだろうな……”と。それは僕自身だけでなく、周りの人が見ていても、多少あったのではと思います」