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“サッカー小僧”中島翔哉が
日本の「10番」になるまで。

posted2018/12/08 11:30

 
“サッカー小僧”中島翔哉が日本の「10番」になるまで。<Number Web> photograph by TOKYO VERDY

東京ヴェルディ・ジュニア時代の中島翔哉。10番をつけ、テクニカルなプレーは今も変わっていない。

text by

生島洋介

生島洋介Yosuke Ikushima

PROFILE

photograph by

TOKYO VERDY

「あちこちのフットサルコートへ“道場破り”」

「カバンのなかにはいつもミニサッカーボール」

「U-17代表時代、競技場通路の人混みでドリブル」

「プロになってからも近所の公園でシュート練」

「A代表ベンチでも暇さえあればリフティング」

 いずれも、日本代表の新10番が残してきた逸話だ。

『キャプテン翼』を読んで、枕元にボールを置き、学校までドリブルして、机の下でまたボールをいじる。そんな少年は全国を探せば珍しくないかもしれない。でも中学生になり、高校生になったとき、少年にその続きはあるのか。ましてやプロになっても続きをやっている選手なんているのだろうか。

 いま代表の背番号10を背負い、かつてないほどアグレッシブで魅力的なチームを引っ張っているのは、そんな漫画レベルのサッカー小僧だ。

 この類まれなキャラクターは、いったいどうやって育まれてきたのか。

中島を作った恩師たちがズラリ!

 Number967号「日本代表 僕らの時代」では、中島翔哉の成長過程をさぐろうと彼ゆかりの人物を訪ねた。

 中島が小学校低学年からスクールに通い、小5のセレクションからはチーム入りした東京ヴェルディには、永田雅人氏(現日テレ・ベレーザ監督)と冨樫剛一氏(現東京V強化部ダイレクター)たち。

 前者はジュニアからジュニアユース時代、後者はユース時代の中島の指導者だ。

 またFC東京では、中島がプロとなった後にカターレ富山の監督として、直後にFC東京のコーチとしても彼を見てきた安間貴義氏(現FC東京コーチ兼U-23監督)に話を聞いた。

【次ページ】 海外でのプレーをイメージして練習。

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