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“サッカー小僧”中島翔哉が
日本の「10番」になるまで。 

text by

生島洋介

生島洋介Yosuke Ikushima

PROFILE

photograph byTOKYO VERDY

posted2018/12/08 11:30

“サッカー小僧”中島翔哉が日本の「10番」になるまで。<Number Web> photograph by TOKYO VERDY

東京ヴェルディ・ジュニア時代の中島翔哉。10番をつけ、テクニカルなプレーは今も変わっていない。

海外でのプレーをイメージして練習。

 取材にあたったライターの海江田哲朗さんが“小僧エピソード”について尋ねると、恩師たちはすぐさま頬を緩ませて語ってくれる。

「よく覚えているのは、上半身を揺らしたり跨いだりしてフェイクかけて壁にシュートを打ってる姿。ずーっと1人で。こんなサッカー好きなやつがいたんだって。でもそれがずっと、結局いまも続いているのが翔哉」(冨樫氏)

「全体練習が終わって、ご飯を食べるとまた1人でシュートを打つ。いいところに入っても、この球筋じゃ入らないとか、ここは揺れないと入らないとかブツブツいいながら。全部、海外(でプレーすること)をイメージしているんです」(安間氏)

「昨シーズン後のオフに帰国した時はすぐにポルトガルに戻っていましたね。静かで飯がうまくて天気もいいって。きっと公園でサッカーしやすいんでしょうね」(永田氏)

 昔も今もサッカーに夢中な中島の様子は、自然とひとに教えたくなる。そんな雰囲気だ。

 恩師たちをそうさせるのは、教え子が代表で活躍するようになったから、というタイミングだけが理由ではないだろう。

「見てるとハッとさせられます」

 たっぷりと当時のエピソードを聞かせてもらったことで、明らかになったこと――。

 それは、特にクラブレベルでは必ずしも順風満帆とはいかなかったキャリアのなかで、つねに世界を見据えていたサッカー小僧が、ひとつひとつ武器を備えていき欧州でも注目のアタッカーへと成長していく詳細な過程だった。

 中島のブレない取り組み方と同時に、もうひとつ印象深かったことがある。

 それは、たとえ彼がチームの監督に認められない時期であっても、周囲からは誰かしら親身にサポートする指導者が現れてきたことだ。

 まるで中島が放つサッカー愛に引き寄せられるように。

【次ページ】 「子供の頃の夢がそのまま残っている」

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