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インテルの「運命の男」ベシーノ。
ボールはいつも彼の所に飛んで来る。 

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手嶋真彦

手嶋真彦Masahiko Tejima

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photograph byUniphoto PRESS

posted2018/10/25 10:30

インテルの「運命の男」ベシーノ。ボールはいつも彼の所に飛んで来る。<Number Web> photograph by Uniphoto PRESS

マティアス・ベシーノは元来ゴールで評価されるタイプの選手ではない。しかし勝負強さというのは存在するのだ。

「たまたまじゃない、僕らは走れる」

 馬力のあるセントラルMFだ。

 レギュラーに戻った現在は、司令塔役を務めるマルセロ・ブロゾビッチをサポートしながら、前線にも顔を出す。中盤から縦にボールを運ぶランウィズザボールは迫力十分で、パンチの効いた右足のミドルも放つ。

 傑出しているのは運動量だ。持久力が高く、終了の笛が鳴るまでプレーのクオリティを落とさない。試合終盤のゴールで結果を残してきた理由を、ベシーノは劇的な勝利に貢献したミラノダービーの直後に、こう分析している。

「たまたまじゃない。フィジカルのおかげさ。僕ら(インテルの選手たち)は最後の最後まで走れるんだ」

 高い持久力のおかげで、プレーのクオリティが保てる。だから残り10分を切ってからでも、大きな違いを作り出せる。そうした説明自体はよく理解できるものだ。しかし、それだけでは説明がつかないのは、なぜ、こんなに頻繁に、試合終盤のゴールにベシーノが絡むのか、という疑問だろう。

 今季のセリエAでのベシーノの1試合平均走行距離は11.591キロ(9節までのデータ)。順位にすると全体の8位とはいえ、1位の選手(サッスオーロのフランチェスコ・マニャネッリ)の11.978キロとは387メートルの差でしかない。

 むしろ比べるべきなのは、インテルでベシーノと共に重要なゴールを記録しているイカルディの9.526キロ(195位の記録)だ。つまりベシーノはイカルディよりも1試合当たり2キロ以上余計に走った上で、試合終盤のゴールとアシストを積み重ね、未来を書き換えてきた。

父親もまたプロサッカー選手だった。

 未来は現在の先にあり、現在は過去の先にある。

 現在から過去へと遡っていくと、ベシーノの父親もプロサッカー選手だった。ウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とし、クラブ名がプレミアリーグの強豪と同じリバプールでプレーしていた、地元(サン・ハシント)の人気者だった。4歳でボールを蹴り始めたベシーノにサッカーの手ほどきをしてくれた最初のコーチ、そして最良のコーチが父親のマリオさんだった。

 不意の知らせが届いたのは、ベシーノが14歳の頃だった。現役引退後、配送業に従事していたマリオさんが仕事中、交通事故に巻き込まれたという。

 モンテビデオから50キロほど離れたベシーノの故郷、サン・ハシントには「ムニシパル・スタジアム・マリオ・ベシーノ」という名称のサッカー場がある。小ぢんまりとした、美しい場所だ。不慮の交通事故で惜しまれながら亡くなったマリオさんへの哀悼の意は、人口4500人ほどの小さな町の小さなスタジアムに今も息づいている。

【次ページ】 「父さん、何と言っただろうね」

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