“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
絶対プロになると中1で決断した男。
青森山田→札幌で夢実現の檀崎竜孔。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/09/18 17:30
札幌でのレギュラーにとどまらず、A代表のメンバーに選ばれるように育てていきたい、とクラブ関係者もその素質を絶賛している檀崎竜孔。
青森山田の7番→10番の意味。
檀崎は、昨年は郷家から7番を引き継ぎ、今年は同じく郷家から10番を引き継いでいる。青森山田において、「7番→10番」の継承は、一昨年の高橋壱晟(ジェフユナイテッド千葉→現・レノファ山口)からスタートしたもので、2人とも高卒でJリーガーになっている。それだけにこの「黄金ルート」を辿る者として、「高卒プロ」はある意味課せられた責務でもあったのだ。
「評価を落とした昨年を反省して、今年は何が何でも結果を残す。最後のチャンスまで全身全霊を尽くしたい」
本来ならば夏前の時点で終わっているはずのサッカー選手にとっての「就職活動」。自らの甘さが招いた注目度の低下に待ったをかけ、もう一度自分にスカウトたちの目を向かせる。そんな覚悟のシーズンを迎えていたのだ。
「青森山田の伝統」というのも原動力の1つだが、なぜ檀崎はそこまで「高卒プロ」にこだわっていたのか。実はそこにはもうひとつの理由……小学校のときの大きな決断があった。
厳しい環境を通じて人間として成長したい。
檀崎は小学校のときすでに、ベガルタ仙台のジュニアチームで頭角を現していた。
そのままジュニアユースへの昇格まで決まっていたのだが、そこで彼が下した決断は、慣れ親しんだ宮城を離れて青森山田中への入学だった。
「ずっと高校サッカーに憧れていて、特に同じ東北の青森山田に憧れていたんです。この門を叩いてサッカーで成功したいという思いが強くて。
もうひとつ……1人の人間としても、寮生活など厳しい環境を通じて強くなりたいと思っていたんです。
ちょうど僕が小6のときに青森山田中が全中(全国中学サッカー大会)で優勝をしたのを観て、『青森山田で中学から挑戦して、中学サッカーで結果を残してから高校で名を上げたい』と思うようになった。僕は1人っ子なので正直、親も寂しい思いはあったと思うけど、僕の決断を尊重してくれて……だからこそ、青森に来た中学生の時から『何が何でも高卒プロになる』と考えていたんです」