炎の一筆入魂BACK NUMBER
「引退」の二文字はまだ早い……。
村田修一、今季NPB断念と現役の意地。
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byKyodo News
posted2018/08/02 11:30
「引退」という言葉を明確に否定しつつも、プロとして来季プレーすることの難しさも同時に語った村田修一。
優しすぎる村田が纏った「男」の称号。
輝かしい成績を残してきたプロ生活で、修一は「男・村田」と呼ばれてきた。
生きるか死ぬかの世界で戦い抜くために、纏った鎧と兜だったんじゃないかと思う。プロ入り後の奇抜な髪形も、強気な発言も、自分の中にある優しさや弱さを隠そうとしていたように映った。
もちろん、同級生とけんかしたり、怒ったりすることもあった。教師から怒られることもあった。でも、昔から「いいヤツ」だった――皆そう思っていた。
両親が教師という家庭に生まれ育ち、小学生時代の成績は優秀。エレクトーンも習っていた。一方で小学3年から始めた野球では、投げても打っても目立っていた。
筆者が所属していた弱小チームは、先頭打者の内野ゴロ以外すべて三振に抑えられたこともあるくらいだった。
中学ではボーイズリーグに入り、投手としての名は小さい町にとどまらなくなった。
地元では「野球がうまい村田くん」として名前が広まりながらも、学校では1人のクラスメートとして語り合い、じゃれ合い、笑い合ってきた。目立ち過ぎず、かと言って、目立たないわけでもない……という妙な存在でもあった。休み時間になれば手作りのボールで野球。担任に怒られ一時は止めるが、しばらくするとまた始める。そこらへんにいる中学生となんら変わらなかった。周囲は皆「いいヤツ」と口をそろえる。
周囲の者は皆「優しい人」と言う。
高校に進学すると、1年からベンチ入りした。あれだけバケモノのような先輩がいる中で18人の中に入った事実こそ、バケモノだった。
野球部での立場の確立とともに、学校内での立場も変わる。同級生が一目置く存在となり、2年になればレギュラー。3年になると甲子園にも出場して、その名は全国に広まった。野球が「村田修一」という人間を大きくしていったように感じる。
それに追いつこうと、ギャップを埋めるスイッチとして「男・村田」の冠を使ったように感じる。
甘さや優しさがプロの世界では足かせとなると言われる。世間のイメージとは違い、修一の心根は優しい。
それは同級生やアマチュア時代のチームメートだけでなく、プロで同じチームでプレーしたことのある選手たちも証言する。