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桑田真澄とは何者か。
その正体に迫る新連載。
posted2018/08/02 17:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Takuya Sugiyama
契機となったのはやはり、あのドラフトだった。
雑誌『Number』の連載「清原和博 告白」の中で、清原和博氏が人生の分岐点として挙げた日。それが1985年11月20日、プロ野球ドラフト会議が行われた日だ。
このドラフトで清原氏は熱望していた巨人に指名されることなく、6球団競合の末に西武に入団。一方で、早大進学を希望していた桑田真澄氏が巨人に1位指名される。この出来事によって桑田氏は清原氏のみならず、世間から疑惑の目を向けられることになった。
その真相を、桑田氏が昨年10月に『Number』937号「独占告白 桑田真澄『これが僕のドラフトのすべてです』」で明かした。
「ドラフトの日、授業中に誰かが『桑田、巨人が1位や』って叫びながら廊下を走ってきた瞬間、僕はもう決断していました」
そして語られた「決断」の裏側にあったのは、一般的な桑田氏のイメージを覆すほどの純粋な野球への思いと、周囲への不信だった。
もしかすると、私たちは「桑田真澄」という人物の断片すら理解できていないのではないか。これまで桑田氏の自伝、評伝は数多く世に出ているが、それらをすべて読んだところで、ともすれば本人でさえも、その正体をつかみきれないのかもしれない。取材に携わった誰もがそんな思いを抱いたのが、昨年10月の「独占告白」だった。
「あんなに明るい甲子園は……」
あれから約1年。夏の甲子園が100回大会となった今年、甲子園のヒーローは節目の50歳を迎えた。この機会に、桑田氏が自身の半生を誌上で振り返るという新連載をスタートする。
桑田氏が本当は何を思って人生の決断をしてきたのか、そして決断の根底となった人格がなぜ形成されたのか、果たして野球界にどのような革命をもたらした人物なのか。『Number』958号の新連載「桑田真澄 『独白』――誰も知らない本当の僕」を通じて、その実像が明らかになるだろう。
第1回は1983年夏の甲子園、名門PL学園の1年生エースとしていきなり全国の頂点に立ったところから始まる。桑田氏は早くも手にした栄光と、その後の苦悩を同時に語った。
「あんなに明るい甲子園は、これが最初で最後でしたね」