欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
起用法を巡る騒動は世界でも日常的。
騒動の主役がハリル、なのが寂しい。
text by
吉田治良Jiro Yoshida
photograph byGetty Images
posted2018/05/02 11:30
かつて所属したユベントスのジダンとマッチアップするR・バッジョ。指揮官との確執は常に報じられるところだった。
監督に煙たがれた天才バッジョ。
世界を見渡して、監督と選手の確執といって思い浮かぶのはロベルト・バッジョである。彼ほど煙たがられた選手もいない。
素行に問題があったわけでは、もちろんない。一般人ではおよそ想像もつかないようなプレーを繰り出し、ひょいと塀を飛び越えるように戦術を超越してしまうジェーニオ(天才)を、大抵の監督はピッチのどこで、どのように使っていいか分からなくなってしまうのだ。
20年以上も昔、今とは違ってユニホームはもっとダボダボで、ファンタジスタと呼ばれる人種が闊歩していた時代でさえ、バッジョの存在は異質だった。
'94年アメリカW杯で悲劇のヒーローとなって以降、彼は度重なる怪我、そして戦術家たちによる迫害と戦い続ける。アリゴ・サッキ、ファビオ・カペッロ、マルチェロ・リッピ。敵は入れ代わり立ち代わり現われたが、そのたびにバッジョは、彼にしかできない魔法を駆使して、困難に立ち向かった。
リッピを見返す2つの芸術的ゴール。
予選でたった56分間しかプレーしなかったにもかかわらず、'98年W杯のイタリア代表メンバーに名を連ねたのも、直前のシーズンにボローニャで、バッジョがあまりにもセンセーショナルな復活を遂げ、湧き上がる待望論を無視できなくなったからだ。
忘れがたいのは、インテル時代の2000年5月23日のパルマ戦。翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を懸けたプレーオフだ。
インテルで、仇敵とも言えるリッピに、それこそステーキの脇に添えられたパセリのようにぞんざいに扱われていたバッジョは、ようやく出番が巡ってきたこの試合で2つの芸術的なゴール(美しい弧を描いたFKと難易度の高い左足ボレー)を叩き込み、痛快極まりない意趣返しを果たす。