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井端コーチが見抜いた岡本和真の才。
「一塁守備」で打撃向上の論理とは?
posted2018/04/18 10:30
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Kyodo News
「いくら打ったって、守れない選手なんて使いませんよ」
かなり昔に聞いた冷たい声を覚えている。
声の主は西武の広岡達朗元監督だ。
1982年のことだった。前年のオフに西武ライオンズの監督に就任した広岡さんは、この年のキャンプからそれまで野武士軍団と言われて豪放磊落、言葉を変えれば勝手気ままだったチームの意識改革に乗り出した。
その標的になったのが、最大のスター選手だった田淵幸一一塁手だった。
阪神時代の1975年には巨人・王貞治の14年連続本塁打王を阻止する43本塁打でタイトルを獲得。'79年に西武に移籍した後は、この新興球団の顔として人気を集めた。
だが、もともと太る体質もあって、移籍前後から明らかなウエートオーバー。動きも鈍くなり、'80年には捕手から一塁手へとコンバートされていた。
そこにやってきたのが広岡監督で、その新監督から田淵さんに投げつけられたのが冒頭の言葉だったのである。
広岡イズムは田淵の野球を確かに変えた。
キャンプでは徹底的に守備が鍛えられた。
連日のノックの嵐。
これまでは通常練習終了後にメイングラウンドを占領しての「特打」が主砲の特権だったが、それも禁止され「打ちたければ鳥かご(打撃ケージ)でどうぞ」と冷たく言い放たれた。だが、こうした広岡イズムは確かに田淵さんの野球を変えた。
この年は114試合に出場。25本塁打を放って自身初めての日本一を経験することになる。
守備への意識が選手を生まれ変わらせた1つの典型例だった。
「アイツに一塁をやらせて良かったなと思っているんですよ」
こう語るのは巨人の井端弘和内野守備走塁コーチだった。
「アイツ」とは、期待の大器・岡本和真内野手だ。