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湘南のRIZAP傘下入りは吉か凶か。
市民クラブ文化と資本力の融合。 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byAFLO

posted2018/04/09 13:50

湘南のRIZAP傘下入りは吉か凶か。市民クラブ文化と資本力の融合。<Number Web> photograph by AFLO

左から、RIZAPの瀬戸健社長、湘南ベルマーレの眞壁潔会長、三栄建築設計の小池信三社長。この三角形で新たな道が始まっていく。

オフのたびに主力が去っていく現実。

 湘南スタイルの土台となる走力は、モダンフットボールの大前提である。同時に、曹貴裁監督が指揮するチームには、複数ポジションに対応できる選手が多い。他クラブからすれば魅力的な素材が集まっているわけで、シーズンオフのたびに各方面からオファーが舞い込むようになる。

 育成組織からトップチームへ昇格した鎌田翔雅(清水エスパルス)、菊池大介(浦和レッズ)、古林将太(ベガルタ仙台)、遠藤航(浦和レッズ)らが、他クラブからのオファーを受けてチームを離れた。

 高卒なら亀川諒史(柏レイソル)が、大卒では永木亮太(鹿島アントラーズ)、岩上祐三(松本山雅FC)、大槻周平(ヴィッセル神戸)、三竿雄斗(鹿島アントラーズ)らが、プロとしてのキャリアをスタートさせた湘南を去っていった。

湘南を離れたかったわけではない。

 現チームで主力としてプレーする秋元陽太と高山薫も、湘南の一員となったあとに他クラブのユニフォームを着たことがある。

 もっとさかのぼれば、'06年のドイツW杯で日本代表に選出された茂庭照幸(セレッソ大阪)も、湘南の育成組織出身である。J1の複数クラブで実績をあげていった石原直樹(ベガルタ仙台)は、無名の高卒選手を湘南が鍛え上げた実例だ。

 '14年のブラジルW杯に柏レイソル所属で出場した韓国代表ハン・グギョンも、'10年から'13年まで湘南の一員だった。

 彼らはみな、湘南を離れたかったわけではない。遠藤や永木のように、一度はオファーを断った選手も数多い。それでも移籍を選んだのは、J2ではなくJ1でプレーするため、あるいは家族の幸せを願うために、湘南より条件のいいオファーを受け入れたのだった。受け入れざるを得なかった選手ばかりだった、と言ってもいい。

 それでも、湘南は湘南であり続けた。曹貴裁監督のもとで2度のJ2降格を経験しながらも、そのたびに1年でJ1へ復帰した。指揮官が就任7年目を迎えた'18年シーズンも、通算4度目のJ1昇格を経て国内のトップステージに立っている。

【次ページ】 クラブの好感度は、苦しさと表裏だった。

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