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平川忠亮、浦和の最年長出場更新。
親友の怒りと大槻暫定監督の指令。
posted2018/04/10 11:00
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph by
J.LEAGUE
「俺がこんな歳になるまで現役でプレーするなんて、誰も思っていなかっただろうね」
“黄金世代”と称された1979年生まれの選手たちが引退したり下部カテゴリーのクラブへ移籍する中、今年で39歳になる平川忠亮は今でもJ1の浦和レッズでプレーし続けている。
「正直言って、若い頃の俺は体調管理もできていなかったし、プロサッカー選手としての処世術を身に着けてもいなかった。それに20代の頃はケガも多かったしね。だから、プロになった当時は『3年もプレーできたら上出来かな』と思っていた」
転機は幾つもあった。新人のときに出会ったハンス・オフトにはプロサッカー選手としての基礎を叩き込まれた。2011シーズンにはチームがJ2降格の危機に瀕する中で副キャプテンとしてチームを取りまとめて残留を果たした。
“ミシャ”からの慰留を受けた理由。
だが、おそらく彼が今でも現役でプレーできている最大の要因は“ミシャ”こと、ミハイロ・ペトロヴィッチ(現・北海道コンサドーレ札幌監督)との出会いだろう。旧ユーゴスラビアの名将から右サイドアタッカーのポジションを与えられた彼は新たな役割を担える喜びと、自らの将来を定める動機付けをも得た。
平川は2016シーズンの終わりに現役からの引退を覚悟していた。この年のリーグ戦出場はゼロ。AFCチャンピオンズリーグはグループステージに1試合出場しただけ。YBCルヴァンカップでは準決勝のFC東京戦で途中出場してアシストを記録したが、それ以外はほとんどのゲームでベンチ外になり、自宅のテレビで仲間の雄姿を見守ることしかできなかった。
しかし、指揮官のペトロヴィッチは平川に「あと、もう1年だけチームに居てくれないか」と慰留し、彼はその申し出を受けた。
「同期の選手たちが引退したり指導者に転身していく。俺自身も将来的には指導者になりたい夢があるから、その勉強も早くしたいと思っていた。同年代の仲間が指導者としてステップアップしていく姿を見て少し焦ったりもしたしね。
そんなときにミシャが、『指導者の勉強は選手としてチームに在籍していてもできる。自分がお前に、その手ほどきをしてもいい。ヒラ、お前がここに居ること。それが今のチームにとって最も大事なことなんだ』と言ってくれた。だったら、裏方のような役回りになるとも思うけど、もう1年、現役として浦和で頑張ろうと思った」