“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
高3の時に「メッシの背番号は僕が」。
ハリルJの新星・中島翔哉の青き炎。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/03/27 07:00
6年前、東京Vユース時代の中島翔哉。当時も今も変わらないのは、その夢の大きさとひたむきな姿勢だ。
「代表ではW杯優勝に導く」
小さい頃から「バルセロナで10番を背負って、バロンドールを獲る。代表ではW杯優勝に導く」と公言し続けてきた。
その夢はあまりにも壮大過ぎて、言葉を聞いた者の中には「大げさに言い過ぎ」と軽く見る者も沢山いたようだ。しかし……本人は常に本気だった。
昔から、彼は決して「夢見るだけの人間」ではなかった。
本気で自分の夢・目標の実現を信じ切ることで、自分の置かれた状況がどれだけ苦しいものであっても、決して下を向くことがない選手だった。
「メッシの背番号10は僕が奪うつもり」
例えば今から6年前、2012年の高校3年春にはこんなことを語っていた。
「メッシの背番号10は僕が奪うつもりでやっています。そのためには努力することはもちろんですが、僕は『サッカーを楽しむ』ことが一番大事なことなのかなと、思っています。
サッカーが楽しめているということは、即ち『よりサッカーが上手になっている証拠』だと思っていますから」
そして、プロ入りして4年目。今からちょうど2年前、2016年の春にはこんなことを語っていた。
「すべては『サッカーを楽しむ』ためです。自分が思い描いた理想のプレーが出来るようになれば、当然もっともっとサッカーが楽しくなると思うので、そこに少しでも近づくために毎日を過ごしています。
僕のプレースタイルは日本よりもヨーロッパの方が絶対に合っていると思うので、その場所に現在地からいかに早く辿り着くことができるかを常に考えています。
今は(プレーするリーグの)カテゴリーなんか気にしていられない。そんな暇があったら徹底して個を磨く。そうしないと絶対にヨーロッパには辿り着けませんから」
別の年齢の時に発した、この2つのコメント。
高校生からプロへと変わり、人生でいろいろ経験を積んだ分、ボキャブラリーこそ豊富になっているが……言っている内容は一切変わっていないのである。