“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
高3の時に「メッシの背番号は僕が」。
ハリルJの新星・中島翔哉の青き炎。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/03/27 07:00
6年前、東京Vユース時代の中島翔哉。当時も今も変わらないのは、その夢の大きさとひたむきな姿勢だ。
「サッカーを楽しむ」と言い続けられるか?
「サッカーを楽しむ」
物事がうまく行っている時、結果が付いてきている状態であれば、誰もがそう感じ、人にもそう語りたくなるだろう。
しかし、そのバランスが崩れた時、物事がうまく進まなくなった時でも、果たしてずっとその「楽しむ」想いを抱き続けることが出来るだろうか。
「僕の中ではその想いを抱き続けることが普通なんです。楽しいからこそサッカーを始めて、今もこうして続けているのだと思います。それはユースであろうが、J1であろうが、J3であろうが、年代別日本代表だろうが、A代表だろうが変わらないんです。
周りの環境によって楽しめなくなっていたら、それは自分の成長を考えられなくなっている時だと思う。どんな環境でも常に全力で、自分のプレーを考えながらやれば、楽しい感覚が失われることはありません。
それに僕はもともとあまり悩まないと言うか、昔からそういう感じの性格なので(笑)。1人では割とお気楽に過ごしていますよ(笑)」
昔から海外でプレーするものと思っていた。
今の彼を見ていると、彼の信念とサッカーに対する姿勢が高校時代からまったく変わっていない、ということに改めて気づかされる。
不遇な時代を抜け、2017年8月にポルトガル1部リーグのポルティモネンセに移籍し、念願の海外でのプレーのチャンスを掴んだ中島。いまや水を得た魚のように、ポルトガルの地で大いなる飛躍の時を迎えている。
「小さい頃から世界の一流プレーヤーのプレーはよく観ていましたから。Jリーグはほとんど観ていませんでした(笑)。
それに東京ヴェルディジュニアのときに、監督がよくヨーロッパやブラジルのDVDを見せてくれたので、昔から世界に行きたいという思いは強かったんです。あまりJリーグでやりたいという気持ちは持ってないかもしれません」(2012年の高校3年時のコメント)