Jをめぐる冒険BACK NUMBER
羽生直剛が語る引退とサッカー人生。
子どもに渡した「ごめんね」の手紙。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2018/03/09 08:00
ユニホーム姿からスーツに着替え、FC東京の一員として働く羽生。引退後も、サッカーに携わり続けていく。
“羽生はすぐに習得したな”と思わせる。
――あのPKについてはあとで伺うとして(笑)、筑波大学からジェフへの加入が決まった際、お世話になった方々から「2、3年プロを経験したら、教員になればいい。思い出作りをしてきなさい」と言われたんですよね?
「そうです。やっぱり身体が小さかったですし。だから、そんな自分がここまでやれたのは、夢みたいな感じもします。今、強化部のスカウト担当としてスタンドから試合を見るようになって、やっぱりスカウト同士で『あの子、上手いけど、ちょっと小さいよね』っていう話が出るわけですよ。
そんなとき、自分も昔、そう見られていたんだろうな、と思うし、小さいだけで弾かれていた可能性もあるわけで、そう考えると、本当に運が良かったし、指導者に恵まれたし、仲間に恵まれたと思います」
――最初に指導を受けた(ジョセフ)ベングロシュさんに始まり、オシムさん、アマル(オシム)さん、城福浩さん、大熊清さん、ポポさん(ランコ・ポポヴィッチ)、マッシモさん(フィッカデンティ)と、すべての監督に重用されてきましたが、振り返ってみて、その秘訣はなんだと思いますか?
「ゴマをすって擦り寄っていくんです(笑)。それは半分冗談ですけれど、監督の思い描くサッカーを早く理解して、羽生はすぐに習得したな、というふうに思ってもらうということは大事にしていた部分ですね。それこそマッシモ監督のときも最初は出られなかったですけど、この人が考えているインサイドハーフはこんな感じなのかなって」
――前任のポポさんのポゼッションスタイルとは真逆のスタイルで、みんなが戸惑っていましたよね。
「そう。それまで攻撃的なサッカーをやっていたから、インサイドハーフも攻撃に多く絡むポジションなんでしょ、っていうふうにみんなが思っていた。でも、最初の頃は勝てなかったし、監督の考えるインサイドハーフの役割は、俺らが思っているのと違うんじゃないか、と感じるようになって、練習やナビスコカップ(現ルヴァンカップ)でトライしたら、マッシモから認められるようになった」
――先ほど言った「擦り寄っていく」という意味は、監督の掲げるスタイルに合わせていく、ということですね。
「小さいから、考えなきゃいけない、というのはベースにあったし、プレーに関しても特別なこだわりがないんですよ。走ることはベースだとしても、監督から『ドリブルしろ』と言われれば、ドリブルするし、『ワンタッチ、ツータッチではたけ』と言われれば、それもできる。別に守備が嫌いなわけでもなかったですから」