Jをめぐる冒険BACK NUMBER
羽生直剛が語る引退とサッカー人生。
子どもに渡した「ごめんね」の手紙。
posted2018/03/09 08:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Kiichi Matsumoto
2018年1月5日、ジェフユナイテッド市原・千葉から1本のリリースが発表された。
「羽生直剛選手 現役引退のお知らせ」
市原時代を含めた千葉、FC東京、ヴァンフォーレ甲府の3クラブでJ1計344試合に出場したMFは、どのクラブでもレギュラーの地位を確立し、ファン・サポーターに愛された。
その羽生が年明けのタイミングで、なぜ引退を発表したのか――。
現在、FC東京の強化部に籍を置く羽生氏。16年間のキャリアを振り返ってもらった。
インステップも思い切り蹴れない。
――16年間の現役生活、お疲れさまでした。いつもジャージでしたから、スーツ姿の羽生さんと向き合うのは、違和感がありますね。
「自分でも着ていて違和感があります(笑)」
――右膝のケガのために引退を決断されたそうですが、いつから膝を傷めていたんですか? 少なくともFC東京時代は、問題なくやれているように見えましたが。
「詳しく言うと、東京時代から足首がずっと痛くて、インステップも思い切り蹴れない状態でした。それで昨年のシーズン前に注射を打ったら、すごく良くなったんですけど、そこからいきなり右膝が痛くなって。もともと膝は高校時代に半月板のオペをして、半月板がほとんどないような状態だったんです」
――そんなに昔から?
「たぶん足首でバランスを取っていたから、膝の痛みが出なかったんですけれど、足首が良くなったら、膝に負担がかかるようになってしまって。3月頃からおかしいなと感じながら、でも、やるしかない、と思っていたんですけれど、夏頃からしんどくなって。
骨と骨がぶつかって水が溜まるから、水を抜いたり注射を打って、いろいろやったけれど良くならなかった。それで秋頃、(フアン・エスナイデル)監督に最後のリハビリをしたいから、一回抜けさせてほしい、と頼んだんです」
――チームからしばらく離れて、徹底的に治療したいと。
「はい。それで1か月くらい休ませてもらってリハビリしたんですけど、治らなくて、もう無理だな、と決めたのが10月くらい。その頃、ジェフ(千葉)はJ1昇格に向けて戦っていたので、伝えるのは家族とか身近な人たちだけにとどめて。高橋(悠太)GMにはある程度話しましたけど、正式に伝えたのは12月の最初でしたね」
――クラブの反応はどうだったんですか?
「悠太(高橋GM)は高校の後輩なので、ざっくばらんに話せる仲なんですけど、『どうします? やれるなら続けてもらいたいし、辞めるなら発表、どうします?』って言われて」