Jをめぐる冒険BACK NUMBER
羽生直剛が語る引退とサッカー人生。
子どもに渡した「ごめんね」の手紙。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2018/03/09 08:00
ユニホーム姿からスーツに着替え、FC東京の一員として働く羽生。引退後も、サッカーに携わり続けていく。
上の子には直筆で手紙を書いて。
――'17年にジェフに移籍したのは、キャリアの最後に古巣のJ1復帰に貢献するというチャレンジだったと記憶していますが、あのとき、FC東京からも慰留されていたはずです。言い方は悪いですが、FC東京に残っていれば、セレモニーで送り出されたと思いますが、それでもJ2でのチャレンジを選んだ。
「実際、東京からもそういう、ありがたい言葉をいただいたんですけれど、セレモニーのためにサッカーをしているわけじゃないし、サッカー選手としてチャレンジする場が欲しかったんです。あの時点で最もモチベーションを高められるのが、ジェフでのチャレンジだった。それに、ジェフのJ1復帰に貢献して、その活躍を認めてもらえるのが一番良いとも思いましたし。
結局、ケガをしてチームに貢献できず、ひっそり辞めることになったのも、自分では納得しています。ただ、子どもたちには申し訳ない気持ちがあって、小学4年生の上の子は『サッカー選手を辞めてほしくない』と言っていたので、手紙を書いて……」
――想いをしたためたんですか?
「はい(笑)。ごめんね、パパがちゃんと活躍していれば、みんなをピッチの真ん中まで連れていってあげられたんだけどって。それはできなかったけど、パパはこういう想いでチャレンジしたから、後悔はしていない、っていう内容の手紙を書きました(笑)」
――子どもたちの反応は?
「僕が出かけるときに、妻に『渡しておいて』って頼んだんですけど、帰ってきたら、『字がちょっと汚い』とだけ言われました(笑)。でも、僕の想いは理解してくれたんじゃないかな。将来、子どもたちが何かに悩んだとき、あのときパパも悩みながらチャレンジする道を選んだんだ、っていうことを思い出してほしいし、そうやって生きていってほしい、という気持ちを伝えたかったので」
――さて、こうしてプロ生活に終止符を打ったわけですが、振り返ってみて、充実した16年間でした?
「どうですかね。もちろん、もっと上手くなりたかったな、もっと活躍したかったな、もっと点を取りたかったなっていう想いはあります」
――リーグ優勝を経験したかったなとか。
「そう。あと、あのときPKを決めたかったなとか(苦笑)」
――ああ、2007年のアジアカップ3位決定戦の韓国戦ですね。
「あれを決めていれば、もうちょっと平穏な人生を送れたよな、と思ったり(苦笑)。でも、だからこそ強くなれたとも思う。そういうのをひっくるめて、自分のできることはやったし、逆に、よくここまでやって来られたな、という想いもあります」