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石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。
出会い、FC東京愛、そして引退――。 

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馬場康平

馬場康平Kohei Baba

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photograph byAsami Enomoto

posted2017/11/30 17:00

石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。出会い、FC東京愛、そして引退――。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

現在のJリーグを見渡しても、FC東京にとっての石川直宏ほど「バンディエラ」という言葉が似合う選手がどれほどいるだろうか。

石川「ユキさんがクロスを上げて、俺が切り込んで」

――当時、ナオにもしもアドバイスする機会があったら、どんなことを話そうと思っていたんですか?

佐藤「得点力や、中に切り込んでいくプレーはナオのストロングポイントだと思っていた。ただ、サイドは一番読まれやすく対策されやすいポジションなんです。たとえば相手のサイドバックに普段ボランチをしている守備が得意な選手を置いてきたり、分析も進んでいるから何度も繰り返し映像を見て、選手の特長や癖も研究してくる。だから、相手に読まれていても、上げられるクロスがあれば、もっとプレーの幅が広がって点が取れるんじゃないかなと思っていました。

 リーグも終盤に入ってきて、もちろんストロングポイントを失ってはいけないけど、クロスがあれば、それがフェイクになってもっと点が取れるようになると思っていました」

石川「確かに、そこまで自分にはクロスの精度がありませんでした。まずは目の前の相手を抜いてゴールに向かって行くというプレーにこだわっていたし、当時は自分がどこまでも突き進んで壁をぶち破っていこうと思っていた。もしかすると、その先の限界は少し見えかけていたかもしれない。でも、そこまでたどり着いた後に、また考えようと思っていました」

佐藤「確かに難しいところなんですよ。逆に、僕もナオのように中に入っていくプレーを増やすように指摘されたこともあった。でも自分には右足のクロスがあるから、なかなかそれを聞き入れることができなかった。強いポリシーがあって、主観が強かったから。若い時は、特にこだわりが強い。ナオもドリブルで行ききることができるから、クロスがなくても大丈夫だった。それに千切ってクロスを上げることもできただろうしね。

 いつかすごく強固なサイドバックと対峙して路頭に迷った時、何か1つあればいいと思っていたけど、そのシーズンはまだノッキングを起こすこともなかった。僕がそうだったように、行けるところまで行って、そこから試行錯誤していった今の姿を見ていると、あの時アドバイスを贈らなくて良かったのかもしれませんね」

――ユキさんはけがから復帰しても試合に出場できない時間が続きましたが、その時はどんな想いでいましたか?

佐藤「ひたすら練習に打ち込むしかないなと思っていました。今までのサッカー人生の中で、一番練習した時期だったと思います。当時は1人で3部練習もやっていましたからね」

石川「そこまでやっているとは知りませんでした。当時のFC東京の選手は、誰もがピッチで出し尽くすスタイルだった。だから、それぞれが本当に練習に打ち込む姿を見てきた。俺が先に練習を上がって食事をして、マッサージを受けて帰ろうとする時に、まだユキさんがグランドで残ってクロスの練習をやっている姿を見たこともあった。

 自分自身、マリノスで試合に出られなくなって、FC東京に来たという経緯があったので、危機感は常に持っていました。でも、同時にいつか一緒に試合に出たいと思っていた。ユキさんが右サイドからクロスを上げて、俺は左サイドから中央に切り込んでいく。そういうイメージは心のどこかでいつも思い描いていた」

【次ページ】 「26歳で原監督に噛み付いた」という2人の共通点。

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