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「他とは違う恐さがあった」“クイズの帝王”伊沢拓司が高校時代に最も恐れた相手は…?「全国模試No.1」北海道の公立校にいた“旭川の神童”の正体

posted2024/12/12 11:01

 
「他とは違う恐さがあった」“クイズの帝王”伊沢拓司が高校時代に最も恐れた相手は…?「全国模試No.1」北海道の公立校にいた“旭川の神童”の正体<Number Web> photograph by (L)Shigeki Yamamoto、(R)Shiro Miyake

2010年の高校生クイズ優勝を足掛かりにクイズ王へと駆け上がった伊沢拓司(左)。同大会で伊沢が最も恐れたのが“旭川の神童”だった

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山崎ダイ

山崎ダイDai Yamazaki

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(L)Shigeki Yamamoto、(R)Shiro Miyake

 今年9月、7年半続いたTBS系の人気番組『東大王』が幕を閉じた。同番組の人気の礎となったのが、「クイズ王」伊沢拓司の存在だろう。クイズメディア「QuizKnock」を設立し、日本にクイズの新たな歴史を紡いだ伊沢の原点は、2010年の『高校生クイズ』優勝まで遡る。

 もし同大会で伊沢が敗れていたら――おそらく現在の日本のクイズシーンは全く違ったものになっていただろう。では、同大会で伊沢擁する開成高校が「最も恐れた相手」とはどこだったのか。後のクイズ王を追い詰めた、「極北の公立校」の正体とは?《NumberWebノンフィクション全3回の2回目/つづきを読む》

 2009年8月。旭川東高校2年生の重綱孝祐は、東京・麹町の日テレスタジオで自身初となる「高校生クイズ」の全国大会に挑んでいた。

 1年前は、競技クイズがどんなものかも知らなかった重綱だが、その後の縁と懸命な努力の甲斐あって、2年生にして初めて全国大会の切符を手にしていたのだ。

「そもそも当時、北海道できちんと活動しているクイズ研究会ってまだほとんどなかった。だから、少し経験を積むだけで全国大会も出やすかったんです」

 当時、「高校生クイズ」の全国大会での問題形式は、概ね下記のように決まっていた。

・1回戦→30問~50問のボードクイズ 正答数上位8校が勝ち抜け
・準々決勝→7問先取の1対1対戦型早押しクイズ 勝利した4校が勝ち抜け
・準決勝→3問の勉強問題 上位2校が勝ち抜け(並んだ場合はサドンデス)
・決勝→10問先取の筆答ボード問題

 そしてこの年、重綱のチームは52チームを8チームまで絞り込む「最難関」の1回戦を通過する。

「最後、2チームでプレーオフになって、漢字の問題が出たんですよね。同じチームを組んでいた先輩がめちゃくちゃ漢字に強い人で、それがハマって通れてしまった感じでした。運も大きかったと思います」

重綱の記憶に残った「高校生クイズ」の特徴

 ただ、この年重綱の記憶に強く残ったのは、クイズそのものの記憶ではない。

 続く準々決勝で感じた、ある「違和感」だった。

「ベスト8でウチは奈良の東大寺学園と当たったんです。そこでなんというか……すごい“噛ませ犬”感を覚えたんです」

 当時の東大寺学園には「京大合格者No.1」というキャッチフレーズがつけられていた。

 奈良の名門私立の中高一貫校で、進学実績を見ても超進学校らしいインパクトがある。すると、現場で流れる実況やスタジオゲストのコメントを聞いていても、明らかに「東大寺寄り」であるように感じたのだ。

 結果的に重綱たちはベスト8で完敗。東大寺学園はこの年、一気に優勝まで駆け上がった。

 自分たちだけではない。ほかの対戦カードを見ていても、東京代表の開成高校は「東大合格者No.1」はもちろんのこと、田村正資というアイコンも擁していた。

【次ページ】 全国制覇の要となる“旭川の神童”の存在

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