JリーグPRESSBACK NUMBER
石川直宏と佐藤由紀彦が今語ること。
出会い、FC東京愛、そして引退――。
text by
馬場康平Kohei Baba
photograph byAsami Enomoto
posted2017/11/30 17:00
現在のJリーグを見渡しても、FC東京にとっての石川直宏ほど「バンディエラ」という言葉が似合う選手がどれほどいるだろうか。
「26歳で原監督に噛み付いた」という2人の共通点。
――当時、一緒に試合に出たという記憶は?
佐藤「記憶にあまりないですね」
石川「1試合だけは、覚えている。味スタで一緒に試合に出たと思うんだけど、それがうれしかったことが記憶に残っている」(注・2人がリーグ戦で同じピッチに立ったのは3試合で、わずか53分間しかない)
――当時のユキさんはため込んだエネルギーが、原監督との衝突を生みます。ナオはそのことを知っていましたか?
石川「俺とかモニ(茂庭照幸)はアジア大会に出ていて不在だった。その話は後で少しだけ聞きました。でもユキさん、俺にもあったんですよ、2007年に同じような境遇が……。ユキさんは札幌戦のアウェーで調子が良かったのに、途中交代を命じられたんですよね」
佐藤「そうそう(苦笑)。前半で代えられちゃったんだよね」
2002年10月12日。その日は、J1リーグ2ndステージの札幌戦が札幌厚別公園競技場で行われていた。そのハーフタイム中のロッカールームで事件は起こった。
その日先発した佐藤は、前半から体がよく動いていることを自覚していた。チームは前半のうちに2点を奪い、自身もケリーの得点をアシストし、納得のプレー内容だった。だが前半だけで交代を命じられ、それまでの半年間続けてきた努力を全て否定された気分になった。張り詰めていた糸がプツンと切れた。次の瞬間には頭と体が同じ速度で動かず、気づいた時には原監督にかみついていた。佐藤は以前、「その時の内容は覚えていても言えない」と語っていた。
――当時の原さんに、自分の意見を通そうとした選手はいなかったと思います。
佐藤「いやー馬鹿でしょ、本当に(苦笑)」
――ただ、その話を聞いた時は驚きました。同じような境遇がナオにもあったので。ちなみに、2人共に26歳の年でした。
佐藤「そうなんだ、面白いね」
石川「いや俺の方がひどいですよ、きっと(苦笑)」
ナオは2007年当時、右サイドだけでのプレーに限界を悟り、新たなスタイルを模索し始めていた。その過程で、東京入りを後押ししてくれた原との間に溝が生じた。当時の彼は、縦への突破と、中にカットインしてシュートという形しか持たず、自分の成長に行き詰まりを感じていた。
するとその年、ナオは突然ポジションを変えて中に、左にとピッチを浮遊し始めた。原監督は、その度に右サイドに張るように指示を繰り返した。それでも言うことを聞かないナオをベンチへと下げ、「お前はこういう選手だろ」と、過去の映像も見せた。だがナオは、その言葉に耳を傾けようとしなかった。
そして、ある練習試合で、原は同じようにピッチを自由に動き回るナオを前半途中でベンチへと下げた。次の瞬間、タッチライン際にあったスクイズボトルを蹴飛ばし、ベンチにも戻らずに練習グランドを囲むネットに身を預けて座り込んでしまった。45分ハーフが終わると、そのままベンチを一瞥もせずにトレーニングルームへと籠もり、バイクをひたすらこぎ続けた。もちろん、その場は非公開練習ではなく、周りには見学に訪れるファン・サポーターもいたため、騒然となった。