“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
城、松井、遠藤らが巣立った鹿実。
愛弟子が継承する「松澤イズム」。
posted2017/09/03 09:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
師弟関係。
そんなありきたりな言葉では言い表せないほど、2人の絆は深かった。
元鹿児島実業サッカー部総監督の松澤隆司と、現サッカー部監督の森下和哉。
「松澤先生とはもう師弟関係を越えている。偉大だったとか、恩師と言う表現を越えている」(森下)
森下の恩師である松澤だが、その松澤が自身の後継者として指名したのが森下だった。
松澤の教えは、鹿実サッカー部の伝統に脈々と受け継がれている。
1966年に松澤が監督就任すると、身体能力の高い選手の素材を活かしつつ組織として個性を噛み合わせた。フィジカルと走力、パワーとテクニックを融合させた“疾風怒濤”のサッカーを作り上げた。
すると鹿実は国見と並び、九州の強豪として知られるようになり、1995年度、2004年度と2度の選手権優勝を果たすなど、全国屈指の強豪へと成長した。
城彰二、平瀬智行、田原豊、赤嶺真吾らフィジカルとスピードに秀でたストライカーや、前園真聖、松井大輔、遠藤保仁、松下年宏という技術に秀でたMFを輩出。さらに那須大亮、伊野波雅彦、岩下敬輔ら屈強なセンターバックも育て上げた。城、松井、遠藤、伊野波がW杯に出場するなど、松澤の手腕は日本サッカー界に大きく貢献した。
高校サッカー界の名将が、8月11日にこの世を去った。
高校サッカー界きっての名将である松澤が、8月11日にこの世を去った。
死因は多臓器不全。享年76歳だった。
すでに松澤は2011年3月に総監督の座を勇退していた。同年にバトンを渡されたのが、当時同校サッカー部コーチの森下である。
話は脱線するが、筆者も“松澤先生”に育てられた1人だと思っている。同校サッカー部出身ではないが、ジャーナリストとしての活動をスタートさせた18歳のときから、何度も話を聞きに足を運んだ。当時はまだどこに寄稿するわけでもなく、ただひたすら取材活動をしていた。
松澤先生は徐々に可愛がってくれるようになった。