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城、松井、遠藤らが巣立った鹿実。
愛弟子が継承する「松澤イズム」。 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2017/09/03 09:00

城、松井、遠藤らが巣立った鹿実。愛弟子が継承する「松澤イズム」。<Number Web> photograph by Takahito Ando

桜島が見えるトレーニング場で指導に励む森下監督。松澤氏が築き上げた名門・鹿実の土台は確かに引き継がれている。

「なぜ、俺を鹿実に誘ったんですか?」

 松澤は2011年に自身が総監督を勇退するタイミングで、指導者としてのバトンを完全に27歳の森下に預けた。

 ただ森下の就任当初、チームは低迷期の最中だった。鹿児島城西、神村学園の台頭もあり、5年間にわたって全国の舞台から遠ざかっていた。

 だが、就任4年目の2014年に同校8年ぶりの全国の舞台となったインターハイでベスト8に導く。翌年もインターハイに導き、DF大南拓磨(磐田)を輩出した。

 松澤とは監督就任後も密に連絡を取り、一緒にご飯を食べることも多かった。森下は松澤にある疑問をぶつけたこともあったという。

「なぜ、俺を鹿実に誘ったんですか?」

 その問いに松澤は笑顔を見せながらこう答えた。

「あの桜島中との試合の土壇場で、お前が点数を決めたという点は半分くらいある。だが、残り半分はゴールのときに選手全員がお前のもとに駆けつけた点にある。“こいつはキャプテンシーが凄くあるし、人をより引きつける力があるな”と思ったから、その場で即決したんだ」

 そう語ると松澤はその場を一旦離れた。すると同席していた松澤の妻がこう森下に続けた。

「私もその時のことを良く覚えていて、その試合を見て家に帰って来たときに“俺の後釜が来る! きっとこいつは俺の後釜になる男だ!”と凄く喜んでいたのよ」。

 松澤の目にはキャプテンマークを付けて国立のピッチに立つ姿だけでなく、自分の後継者として指揮を執る姿までも見えていたのだった。

「俺が決めた、たった1人の人間なのだから……」

「本当に僕は先生からすべてを教わった。先生と僕の間には、はっきり言って絶対に人が入って来れない関係だった。何度も遠征先の宿舎の部屋で怒られたけど『やめちまえ』とか『お前には任せられない』といった言葉は一切言われなかった。逆に『俺がいるうちに勝負師とは何かを学べ』と言われた」

 そして今年の2月。松澤が森下にこう言ってきた。

「森下、これだけ多くの教え子、指導者がいる。だが、その中でお前を俺の後釜に決めたのは、俺なんだ。俺がすべて決めたんだ。だからお前は俺が決めた、たった1人の人間なのだから、堂々と指導しろ。俺ができることなら何でもする」

【次ページ】 劇的なゴールでの勝利後にかけられた、最後の言葉。

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