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高校球児を獲る前に母親の尻を見ろ!?
伝説のスカウト、その恐るべき眼力。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2017/08/30 07:30
1998年のドラフトの頃……福留(中央)に挨拶する(写真左から)中日ドラゴンズの中田宗男チーフスカウト(現編成部長)、本田威志編成部長。
最高のスカウティング哲学は「お母さんを取り込め」!?
だが、藤田は176センチ、64キロと明らかに体重が軽すぎた。当然、その体の線の細さを気にして指名を敬遠する球団も出てくる。
しかし、河西は藤田の母親の体型を見て確信するわけだ。
ころころとした体型で腰も尻もがっちりしている。男の子は母親の体型になってゆく。運動能力はもちろん、お母さんが大きければ息子も必ず大きくなる。だからこそ、スカウトは母親のお尻を見るのだと。
これぞ泣く子も黙る「ママケツ理論」。
入団交渉においても10代の少年にとって影響力があるのは監督や父親よりも母ちゃんだ。多かれ少なかれ、すべての男はマザコンである。辿り着いたスカウティング哲学が「お母さんを取り込め」だったという。
パ・リーグの在阪球団だけは死んでも拒否という選手も。
河西はこの藤田、さらに江夏豊や掛布雅之といった数々の名選手の入団に関わるが、昭和52年1月にはスカウト陣若返りのためという理由で阪神を去り、直後に56歳にして同じ関西の近鉄バファローズのスカウトに就任。
しかし、当時のセとパの格差は凄まじく、「近鉄」と言っても「そらデパートでっか」「電車のことでっか」なんて聞き返されることもしばしば。
阪神時代は選手の家に行けば応接間に通してもらえていたのに、近鉄では玄関前止まりの厳しい対応。絶対に阪神へ行かないという選手はほとんどいないが、パ・リーグの在阪球団だけは死んでも拒否という選手は珍しくない。あの超高校級スラッガーと称された選手もそうだった。
'95年秋のドラフトで7球団の競合の末に近鉄が交渉権を獲得した福留孝介(PL学園)である。
まずは投手であれば「速い球を投げる」、野手であれば「遠くに飛ばせる」の2点を指標に選手を見る河西にとって、夏の大阪府予選であの清原和博の5本を抜く8試合で7本の本塁打を記録し、甲子園初戦でも2打席連続本塁打を放った福留は、もちろん地元大阪のスター選手として魅力的だった。しかし、福留本人は「巨人、中日以外の指名なら、社会人の日本生命」希望を表明。
河西も球団には抽選に当たっても厳しいと伝えていたが……佐々木恭介監督はあの「ヨッシャー!」の雄叫びとともに7分の1の確率の当たりくじを引き当ててしまうわけだ。