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高校球児を獲る前に母親の尻を見ろ!?
伝説のスカウト、その恐るべき眼力。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2017/08/30 07:30
1998年のドラフトの頃……福留(中央)に挨拶する(写真左から)中日ドラゴンズの中田宗男チーフスカウト(現編成部長)、本田威志編成部長。
“スッポンの河さん”にかかってきた1本の電話。
すでに75歳になっていた“スッポンの河さん”は福留との交渉に通う。
しかし、少年は周囲の大人たちが説得しても本心を明かさず、口を閉ざしたまま。河西はそんな孫ほど年が離れた18歳の信念の強さに畏れの気持ちを持ったという。
「な、もう一回ええやろ」
「な、気持ちは傾いたか」
粘り強く語りかけ、入団交渉を12月初旬まで継続することに成功。しかし福留は鉄の意志で日本生命入りを決める。この直後、河西は病に倒れ、翌年1月から5月まで手術などで入退院を余儀なくされた。
それから3年後のことだ。すでに年齢と体調面から近鉄スカウトを辞めていた河西家の電話が鳴る。
なんと福留本人からである。
逆指名で中日入団が決まった報告だった。会って挨拶がしたいという福留に対し、河西は「ワシは……あんたのことは少しも悪う思とらんで。だから胸張って何も気にせんと中日に入って、頑張ってください」とやさしく言うのだ。気にするなよ、終わったことだと。
昔気質の河西は、どんなにお金を出そうとしても、転ぶことなく初心を貫いた福留が好きだったのである。
'93年に始まった逆指名ドラフトは、苦難の連続に。
【『プロ野球スカウトの眼はすべて「節穴」である』(片岡宏雄著/双葉新書/2011年2月18日発行)】
お金と逆指名。
巨人、ダイエー、中日、阪神といった資金力があった一部の球団を除いて、'93年から始まった逆指名ドラフトは苦難の連続だった。
どんなに選手をマークしても、最後はマネーパワーで逆転されてしまう悲しい現実。河西のいた近鉄はもちろん、片岡宏雄がスカウトを務めていたヤクルトもそうだった。