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元日本代表・狩野美雪とデフバレー。
指揮官として得た金メダルの意義。 

text by

米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byJapan Deaf Sports Federation

posted2017/08/13 07:00

元日本代表・狩野美雪とデフバレー。指揮官として得た金メダルの意義。<Number Web> photograph by Japan Deaf Sports Federation

狩野監督(前列左から3人目)率いる日本が手に入れた悲願の金メダル。ただ競技のさらなる認知のためにはここでとどまるつもりはない。

男じゃないんですけど、断ったら男じゃねーなーと。

「それに、彼は結構頑固な人だったんですけど、デフバレー協会の大川(裕二)理事長にも、『今井さんは、自分が納得しない人とは一緒にやりたくない、と言っていましたけど、その彼から狩野さんの名前は聞いていましたから、たぶん今井さんは狩野さんにやって欲しいんだと思います』と言われました。

 そう言われて断ったら男じゃねーなと思って。ま、男じゃないんですけどね。それでつい、『じゃあ』と言ってしまった。周りの人や主人が『やってみたら』と言ってくれたこともあって、引き受けました」

 2011年10月に監督に就任し、2013年デフリンピックでは銀メダルを獲得。金へ、あと一歩に迫った。

 しかし4年後の2017年大会に向かうチームはメンバーの約半分が入れ替わった。狩野監督は、「今回は若い選手が多いですし、海外には強化に力を入れ始めた国も増えているので、行ってみないとわからないというのがあって……恐怖でもあります」と明かしていた。

北京の戦友・竹下佳江率いる姫路と練習試合を行った。

 メンバーは16歳から32歳までと幅広く、練習環境も様々だ。ろう学校のバレー部に所属する選手もいれば、一般の高校、大学でプレーしている選手もいる。社会人の選手は企業などで働きながら、自分で練習時間と場所を見つけなければならない。

 デフリンピック開幕の約3週間前、姫路市にあるプロチーム、ヴィクトリーナ姫路と練習試合を行った。姫路の竹下佳江監督は、狩野監督の同級生で北京五輪を共に戦った戦友でもある。その縁で狩野監督が練習試合を依頼したところ、快く引き受けてくれたという。

 タイムアウト中、狩野監督は円陣の中心で、簡単な手話を交えながら、細かい指示は手話通訳を介して伝えた。デフバレーチームは大差で敗れ、指揮官は終始険しい表情だった。

「(姫路に)やっていただくのも心苦しいようなゲームになってしまった。先方はプロで、もともと力の差はあるんですが、それでも自分たちは皆様に応援していただくために、障害があってもやれることを一生懸命やっているという姿を見ていただきたいと思ってやってきたんですが、今日はそれを表に出せなかったのが残念です」

【次ページ】 普通ならコート外から指示を叫べば伝わるが……。

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