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井口資仁の名はシカゴで永遠に残る。
反骨の逆転ホームランと、世界一。
posted2017/07/02 07:00
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
AFLO
6月20日の午後、アスレチックスの本拠地オークランド・コロシアム(別名リッキー・ヘンダーソン・フィールド)のテレビ・ブースの中に、よく通る声が響き渡った。
「彼とはロッカーが近くですぐに打ち解けた。2番打者として走者を進めて自らが犠牲になることも多かったが、彼は決して不満は見せなかった」
そう言ったのはその日のビジターチーム、アストロズのテレビ解説者ジェフ・ブラム元内野手だった。「彼」とは先頃、今季限りの引退を表明した井口資仁のことである。ブラムと井口は2005年、ホワイトソックスでプレーしていた元同僚だった。井口にとってはメジャー挑戦1年目のことである。
「あの年、1番にポドセドニックという、とてもとても足の速い選手がいた。彼にはオジー(・ギーエン監督)からグリーン・シグナル(いつ走ってもいいというサイン)が出ていて、彼が走ればタダヒトも自由気ままに打つわけにはいかなかったんだ」
同僚からも井口は「勝負強い打者」という印象だった。
ポドセドニックの同年の出塁率は.351と高く、「1球待て」のサインも頻繁に出たという。井口は自由に打つことが出来ず、典型的な彼の任務は「ポドセドニックを得点圏に送り込むこと」。ポール・コナーコやジャーメイン・ダイといった中軸に繋げることが彼の仕事だった。
それでもブラムは、タダヒト・イグチを「繋ぎの2番打者」ではなく、こんな風に覚えている。
「打者としてよく覚えているのは勝負強かったこと。2005年のレッドソックスとの地区シリーズでデイビッド・ウェルズから3点本塁打を打ってシリーズを決めたのはその一例さ」