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G大阪、清水で育った筑波大の知将。
長谷川健太と小井土正亮、師弟の絆。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2017/05/07 08:00

G大阪、清水で育った筑波大の知将。長谷川健太と小井土正亮、師弟の絆。<Number Web> photograph by Takahito Ando

筑波大学蹴球部監督の小井土はまだ39歳。51歳の長谷川とは一回り以上の年齢差があるが、同じサッカー指導者として対峙している。

快く大学に送り出してくれた長谷川監督。

「健太さんの心遣いには……本当に感謝しかありません。だからこそ、G大阪の1年でのJ1復帰は僕にとって絶対的な責務でした」

 2013年シーズン、小井土は長谷川を全力でサポートし続け、最終的には1年後にJ1昇格を見届けた。そして、大学1年目となる2014年にヘッドコーチとして筑波大蹴球部に参加すると、翌年には監督就任を果たした。

 筑波大の教員となり、蹴球部のヘッドコーチ、監督として活動してきた過去4年間は、紆余曲折の時代だった。

 コーチだった1年目にチームは大きく低迷し、戦後初となる2部降格という屈辱を味わった。

「歴史を変えてしまった。もう取り返しのつかないことをしてしまったという感じでした。でも、落ちた瞬間にそれはもう歴史に刻まれているわけですから、これからは自分の人生を懸けてこの組織をもう一度強くするため、前に進んで行くしかないと考えました」

J2時代のガンバで学んだ、2部落ちしての戦い方。

 2部落ちしてすぐに監督へ就任し、関東大学リーグ2部で戦った。そして、接戦を着実にモノにしていった結果、わずか1年で1部復帰を成し遂げた。

 屈辱から這い上がっていったその1年間は、まさにガンバJ2時代の長谷川監督の後ろ姿を追うような気持ちだったという。

「力のあるチームが2部に落ちて戦うことをG大阪で経験していたので、それが参考になりました。

 G大阪と戦うときの相手の戦い方、G大阪がアウェーに行った時、相手の観客の雰囲気。『G大阪に一泡吹かせてやる』とか、そういう気迫に対しても、気後れせず勝ち切らないといけない。

 健太さんはこうした重圧にも屈すること無く、堂々と立ち振る舞い、選手達を鼓舞しつつ、細かい部分にまで気を配ってチームを前進させていった。その姿を思い出すことができたので、筑波大を前進させることに集中することが出来ました」

【次ページ】 Jリーグと大学リーグ。違う場所で戦う2人の監督。

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