“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
G大阪、清水で育った筑波大の知将。
長谷川健太と小井土正亮、師弟の絆。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/05/07 08:00
筑波大学蹴球部監督の小井土はまだ39歳。51歳の長谷川とは一回り以上の年齢差があるが、同じサッカー指導者として対峙している。
「大学サッカーの指導者をやってみたい」という夢。
結局、長谷川が監督の職を辞するまでの6年間、ともに清水で全力を尽くした。
「この6年間は、自分にとって凄くいろんなものを学ばせていただいた期間。指導者としてどう選手達にアプローチをすれば良いか、自分の特長を活かしていけるか、を毎日考えていました。
相手のプレーだけでなく、言動をしっかりと見て、かつ自分自身の言動、立ち振る舞いにも気をつけて、よく考えて行動に移す。
澤登正朗さんや齊藤俊秀さん、伊東輝悦さんといった大ベテランの選手から、岡崎慎司、枝村匠馬、岩下敬輔といった才能あふれる若手選手と、多くの選手達に接することができたのも、僕にとって大きな財産でした」
2010年シーズンに長谷川の監督辞任をもってアシスタントコーチの座を退くと、「大学の職員になって、出来れば大学でサッカーの指導者をやりたい」と、新たな目標に向けて筑波大大学院に再入学した。
そして、大学院3年目の時。再び長谷川からの電話が届いた。
「今度、G大阪で監督をすることになった。来てくれないか」
健太さんに必要とされた、という喜び。
Jリーグ・クラブの仕事から離れ、大学教員への道を歩き始めていた小井土。しかし、師である長谷川の要望に応えないという選択肢は無かった。
「健太さんはクラブから『1人なら(自分の好きなコーチを)連れて来ても構わない』と言われていたようで、その1人に自分を指名してくれたんです。しかもちょうどG大阪がJ2に落ちて、1年でJ1復帰をしなければいけない大変な状況での監督就任。
重大な局面で健太さんは僕を必要としてくれた。これは行かなければいけないと思ったんです」
だが、彼がG大阪で過ごす時間は結局1年で終わることとなる。
G大阪のコーチに就任したばかりの2013年春、筑波大学の教員としての採用試験に合格したとの通知が届く。
「来年度(2014年)の筑波大の教員採用に通りました」
小井土がこのことを長谷川に素直に伝えると、「小井土が大学の先生になりたいことは知っていたし、ましてや(長谷川監督自身の)母校でもある筑波大に決まったのなら行ってこい」とすぐに背中を押してくれた。