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両国と福岡を結ぶ“アンダーボス”物語。
オカダのIWGP王座に挑むファレの野望。

posted2017/04/28 08:00

 
両国と福岡を結ぶ“アンダーボス”物語。オカダのIWGP王座に挑むファレの野望。<Number Web> photograph by Essei Hara

“バウンサー”の立場から、デビュー当初に名乗った“キング”へ戻れるかどうか……。

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原悦生

原悦生Essei Hara

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 バッドラック・ファレにとって福岡は、いろいろな意味で思い出の土地だ。

 ファレはラグビー選手時代に2006年から2008年の2年間だけだったが、「福岡サニックスブルース」(現・宗像サニックスブルース)というチームに所属していた。

 ファレは5月3日、福岡国際センター「レスリングどんたく2017」で、オカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座に挑戦する。

 ファレはトンガ王国出身だ。名を馳せたプロレスの大先輩には、タマ・トンガの父親のプリンス・トンガ=キング・ハクがいる。

 ファレが新日本プロレスに入ったのは2009年。

 “キング・ファレ”と名乗って2010年にデビューした。超大型新人ということでいきなり中西学が相手だった。

「青義軍」に入って永田裕志とタッグを組んだりしていたが、永田と決別したファレは2012年、一旦アメリカに出ることとなった。

 ファレに転機が訪れたのは2013年の4月7日の両国国技館だった。

2番目の地位から、一気にトップへ躍り出るために……。

 ファレは第1試合に乱入。“バッドラック・ファレ”と改名して、プリンス・デヴィット(現フィン・ベイラー)のバウンサー(用心棒)になったのである(バウンサーといえば……アムステルダムの繁華街のカジノでは、かつてはウィレム・ルスカ、クリス・ドールマンといった猛者たちが、無法者たちに目を光らせていた。「バウンサー」とはそんな仕事だ)。

 その年の5月3日、福岡国際センターで「Bullet Club」が結成された。

「Bullet Club」は爆発的なブームになった。

 ファレがデヴィットを肩車してゆっくりと入場するシーンはファンの記憶に刻まれた。

 これらは4年前の出来事だが、4月9日の両国から5月3日の福岡への流れは、ファレにとっては、至極酷似している。

 ただ、過去とは違う重要な点がある。

 4年前のスターはデヴィットだったが、ついに“アンダーボス(ボスに次ぐ2番目の地位)”のファレ自身に強いスポットライトが当たるときがやってきたのだ。

【次ページ】 「ファレも、いろいろたまっていると思いますよ」

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