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北朝鮮代表での最初は“おまけ枠”。
引退のJリーガー安英学、代表での日々。 

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吉崎エイジーニョ

吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki

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photograph byTakamoto Tokuhara/AFLO

posted2017/04/11 11:30

北朝鮮代表での最初は“おまけ枠”。引退のJリーガー安英学、代表での日々。<Number Web> photograph by Takamoto Tokuhara/AFLO

2011年9月に行われた日本vs.北朝鮮戦での安と李忠成。結果は1-0で日本代表が勝ったが、激戦だった。

当時の南北関係に漂っていた雪解けムード。

 この南北親善試合の開催は、金大中政権の「太陽政策」の下、南北双方の交流が盛んにおこなわれていた時代のことだった。

 試合当日、今思えばものすごい現場をいくつか目にした。

 試合前、北側のチームの幹部クラスが韓国の観客に対して、直接スピーチをして言葉を投げかけた。「北南関係が~」と話す姿に新鮮な印象を覚えたものだ。ああ“南北関係”ではないんだなと。

 ハーフタイムには北朝鮮からの同行記者(韓国記者はつけない腕章を巻いていたから一目でわかる)が、まったくの警備なしでトイレで用を足していた。その後'08年からの李明博、朴槿恵と続いた保守政権下ではありえない出来事だった。

ドイツW杯最終予選で8年ぶりの日朝対決が。

 3年後、'05年2月のドイツワールドカップアジア最終予選では日朝両国が対戦することになった。ジーコジャパンの時代のことだ。

 盛り上がりぶりは相当なものだった。最終予選の初戦だったから、期待度をグツグツと煮込む時間があった。'02年W杯では開催国のため予選免除だったから、8年ぶりの最終予選でもあり、緊張感が高まった。さらに滅多に生で見られない北朝鮮の選手たちが日本に入国し、目の前で試合をする、という点も関心度をグッと高めた。

 筆者は北朝鮮が事前に合宿をした、中国海南島で取材を続けた。チームが現地入りする前に現場の状況を詳細に調べた。当時はそういう潤沢な経費も媒体から出ていた。「北朝鮮にとにかく密着取材してくれ」ということだった。

 2日ほど経った頃、北朝鮮代表が現地に入ってきた。空港のロビーは日本のメディア、一部韓国のメディアで騒然としていた。自動ドアが開き、フラッシュが一斉に焚かれる。スーツ姿のチーム一行が入ってきた。話を聞くなら、在日の安だ。そう決め打ちしていた筆者は記者団の塊から少し離れたところから、勝負に出ることにした。空振りの可能性もある。

【次ページ】 余裕の表情から窺えた北朝鮮代表での立場。

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