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北朝鮮代表での最初は“おまけ枠”。
引退のJリーガー安英学、代表での日々。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byTakamoto Tokuhara/AFLO
posted2017/04/11 11:30
2011年9月に行われた日本vs.北朝鮮戦での安と李忠成。結果は1-0で日本代表が勝ったが、激戦だった。
“総連”所属として南北朝鮮の親善試合に出場。
再会の地はソウルだった。
'02年の9月、南北親善サッカー大会の北朝鮮代表に選ばれた。東京朝鮮高校卒業後、一度はサッカーを諦め、浪人を経て立正大学からプロ入りを果たした苦労人にとって、栄光の舞台だった。
ソウルワールドカップスタジアムには、まだ'02年日韓ワールドカップベスト4の熱気が残っていた。メンバーリストには確かに安の名前があった。所属は“総連”となっている。
安はここで後半残り5分に出場機会を与えられ、代表初キャップを記録した。
しかし、試合後の表情は冴えなかった。むしろ疲れているようにも見えた。
取材エリアのムードは南北親善万歳、といったところだったから、とても日本語では言葉を交わせない。朝鮮語で話す方法もあったが、取材エリアで口を開いているのは、チーム付きの“お偉い方”ばかりで、選手は素通りだった。
たった1人の在日コリアン、安だけに話しかけるのもちょっと迷惑がかかりそうだ。
初の代表戦で味わった「悔しい、という思い」。
安の姿を見つけ、日本語で“読唇術”を使って、聞いた。
“ツカレタ?”
安はこれを読み取った。指で小さなジェスチャーを加え、同じく唇だけを動かした。
“スコシ”
「せっかく新潟から少し無理をして代表に行ったのに、試合に5分しか出られなかった。悔しい、という思いもあったんです」
かつては夢にすら描けなかった祖国での代表。しかし、現実は“夢物語”ばかりではなかった。
「代表招集のレターは、新潟のほうにファクスで届きました。行くべきか、だいぶ悩んだんです。新潟は当時、J1昇格を争っている状況で、僕は試合に出ていましたから。代表に行くとなると、移動の時間も含め3~4試合欠場しなければならなかった。申し訳ないという思いがあったんです。でも、クラブの方は『名誉なことだから行ってこい』と送り出してくれた。代表に行く直前のJ2の試合後、新潟のサポーターも『イギョラ 安英学』といういつものチャントをはなむけの意味で歌ってくれて」