野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
都市対抗に出場する元阪神、玉置隆。
背中を押した、福留と球児の言葉。
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byYutaka Tamaki
posted2016/06/17 07:00
2004年ドラフトで阪神に入団した玉置隆は今年から新日鐵住金へ。都市対抗出場を決めた富士重工戦では「高校以来」という完封勝利。
社会人野球は「人の思いをすごく感じる」。
「都市対抗に行けば、その年は100点、出られなければ0点というくらいなんです。仕事も先に上がらせてもらっている。プロ野球はチームのため、家族のためですが、一番は自分のため。人の思いをすごく感じるのが社会人野球です」
のるかそるかの大勝負は玉置の独壇場だった。
直球や自慢のチェンジアップを低めに集め、4回までは無安打無失点。終わってみれば2安打10奪三振の完封勝利で、都市対抗出場に大前進した。
29歳の右投げ投手は「できすぎ。これまで社会人でも4イニングが最多でした」とおどける。プロの時は外角中心の配球で、ファウルを奪ってカウントを稼ぐのが基本パターンだった。いまは違う。「内角を使い始めて投球の幅が広がった」と言う。1年前にプロだったプライドにとらわれず、捕手の指摘を聞き入れて変わった。
新しい自分を見いだす一方で、大切にする思いがある。阪神ですごした日々で得た、理想の投手像の体現だ。
「藤川球児さんがマウンドにいるだけで、とてつもない安心感があった。この人がいれば勝てるという雰囲気を、ブルペンにいても感じました。だから『困ったら玉置さんがいる』というような存在になりたいんです。しんどいところは全部、俺に任せろというね」
迷える玉置の背中を押した藤川球児の言葉。
あの人、あの言葉がなければ、あるいは、ユニホームを脱いでいたかもしれない――。
昨年10月、阪神から戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトをへて、新日鐵住金鹿島から誘われた。迷っていた。
「頑張っても、必ずしも認めてもらえるわけじゃない。結果を出しても、使ってもらえなければ、何が悪いか分からない。社会人野球か……。声を掛けられたけど、野球はもういいかな、しんどいなと」
季節は冬へと向かう。大阪で串カツを食べているときだった。悩みを打ち明けると、こんな言葉が心にすっと入ってきた。
「なにで悩んでいるか、俺には分からん。お金かもしれん。でも、絶対に行け! どんな野球でも一緒。何億で野球しようが、何百万で野球しようが一緒や」
藤川球児だった。「社会人野球か、やめておけ」と言われるかと思っていたら違った。間髪入れずに背中を押された。何年も前から沖縄で自主トレを一緒に行い、事あるごとに野球観に触れていた。