野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
都市対抗に出場する元阪神、玉置隆。
背中を押した、福留と球児の言葉。
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byYutaka Tamaki
posted2016/06/17 07:00
2004年ドラフトで阪神に入団した玉置隆は今年から新日鐵住金へ。都市対抗出場を決めた富士重工戦では「高校以来」という完封勝利。
社会人野球出身の福留孝介も挑戦を見守る。
あるとき、こんなことも言われた。
「考えすぎや」
ハッとした。
「僕、野球のことばかり考えてしまう。日常生活も野球、野球。僕は『野球の奴隷』だった。球児さんは違う。野球のことを常に考えているけど、とても自由に野球をしていると感じます」
同じ高卒でプロ入り。肩の力が抜けている藤川の振る舞いに触発された。人生の岐路に立ち、気づかせてくれたのは「やっぱり野球が好きなんですよね」という、純粋な思いだった。
気持ちを奮い立たせてくれる人もいた。
阪神退団が決まると、同じくユニホームを脱ぐことになっていた藤原正典とともに、福留孝介から声を掛けられた。食事の誘いだった。テーブルにつくと言われた。
「今日は激励会だからな」
一緒に白球を追ってきた仲間なのだ。その前途を後押しする、ささやかなエールに感謝の思いがあふれた。
11月末の選手会納会。ねぎらいのビールを注ぎにいくと、真顔でクギを刺された。
「社会人はプロより厳しい。覚悟しておけ」
日米球界で活躍する好打者も、プロ入り前は日本生命でプレーしていた。
厳しくも温かい助言は、背筋が伸びる、はなむけになった。
「プロ野球選手」になって、何を得たのか?
誰もが憧れる「プロ野球選手」だった。
日本最高峰のリーグで戦い、何を得たのだろう。野球技術、駆け引き、勝負度胸……。玉置にとって、かけがえのない、人生の1ページだろう。
「やっぱり人との出会いですね。僕、新人のとき、ずばぬけたアホで入ったんです。よく怒られたし、シバかれた。でも人として成長できる、出会いの数は抜群に多かったと思います」