“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
ドリブルを、こだわりではなく武器に。
川崎・登里享平が捨てた固定観念。
posted2016/05/16 17:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
J.LEAGUE PHOTO
5月14日、J1リーグファーストステージ第12節・川崎vs.神戸。
川崎は前半に先制点を許すが、後半に入りエース大久保嘉人の2ゴールで一気に形勢をひっくり返し、終ってみれば3-1の完勝。この逆転勝利によって、川崎は暫定首位(浦和が1試合少ないため)に立った。
貴重な勝ち点3を掴み取ったこの試合のヒーローは、当然のように同点弾、決勝弾を決めた大久保となったが、決して派手では無いが効果的かつ献身的なプレーで、攻守において抜群の働きをしていたもう1人の選手の動きが目に留まった。
背番号2ながら、左サイドハーフとしてプレーするプロ8年目のMF登里享平だ。
登里は高1の時から取材・観察を続けているのだが、今年に入ってからの彼の変貌ぶりには驚いてばかりいる。
何に驚いているのか――それは“自分のストロングポイントの活かし方を大胆に変えた”ことだ。
香川西高校時代は、左利きの弾丸ドリブラーだった。身長は今と変わらず、丸坊主で屈強なフィジカルと見事なボディーバランスを持ち、ワイドの位置でボールを受けると、低い重心から爆発的なスピードで一気に左サイドを切り裂いていた。当時は全国的にほぼ無名だったが、他の選手とは明らかに一線を画す、見事な切り返しを織り交ぜたドリブルを見て“讃岐のジャックナイフ”という異名を付けたことを覚えている。
昔は、とにかく自分の良さだけを出したかった。
2009年、このドリブルが見初められて川崎に入団を果たすと、左のアタッカーとして1年目からリーグ戦に出場し、プロ初ゴールもマークしている。その後もコンスタントに出番を重ねてきたが、彼はそこで、ドリブラーなら誰しもが直面する大きな壁にぶつかってもいた。
「ずっと僕にはこだわりがあった。1対1の場面で、自分の間合いでガンガン勝負していくし、そういうプレーをしたいと思っていた。でも、フリーな状態でボールを受けないと、その『自分の形』が出せず、結局それをするために、サイドに張ってしまうことが多かったんです」
ドリブラーの典型的な特徴として、自分のタイミングで勝負をしたがるというのがある。
自分が持つ間合い、ボールフィーリングに自信を持ち、大事にし過ぎるあまり、自らの形に無理にでも持ち込もうとしてしまう。それがはまればいいが、はまらないと、チーム戦術の中で浮いてしまうことになる。
「川崎で試合に出るうちに、監督や周りから、中や相手の間で(ボールを)受けることを要求されたけど、その通りにプレーをする度にミスをして、自分のリズムが掴めず、試合に上手く入れないときもあった。自分にはこういうプレーが向いていない、『自分の形』で勝負したい……と、僕の中で大きな葛藤があった」