“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
ドリブルを、こだわりではなく武器に。
川崎・登里享平が捨てた固定観念。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE PHOTO
posted2016/05/16 17:00
チームメイトの大久保や小林から大きな期待を寄せられている登里。今季はアシスト数が登里の活躍の指標となる。
サッカーへの考えを大きく変えてくれた風間監督。
そんな彼に転機がやってくる。
2012年の4月11日に相馬監督が解任。同月23日に風間八宏監督の就任が決まった。
「風間さんは『スペース』や『フリー』の概念を変えてくれた。ちょっとでも相手をずらしたり、体勢を変えるだけで、僅かな隙間でも『スペース』になる。そこに足下に速いボールを付けて、前を向けば打開出来る。それをするためには、裏に抜けるだけでなく、相手に仕掛けて、パスとリターンを駆使して相手を剥がす動きが求められる。スピード勝負ではなく、タイミング勝負が大事だと言うことを教えてくれた。
フリーの定義もスペースと同じで、相手からちょっとでも離れていればフリー。フリーの状態を作り出す動きは、大きなアクションをしなくても出来るし、出し手の目線でも、フリーの味方を見つけやすくなって、縦パスやフリックなど、シンプルなプレーもやりやすくなった」
ここで彼は自分の大きな思い違いに気付いたという。
「(風間監督の)就任当初は、理論的で正直『苦手なタイプ』だと思っていたけど、それはただ単に自分の固定観念が視野を狭めていただけだったんです。相手の間で受けて打開するプレーの真の意味が理解出来ていなかったし、自分でも出来ないと思い込んでいた。周りとの関係性を見ながらでも、自分の武器である、重心の低さ、スピード、ボールタッチは活かせる。動き出すタイミング、入って行くタイミングや場所を、自分の長所を活かして十分に使いこなせる。それを発見出来たんです」
自分が「出来ない」と思っていたプレーは、実は「独りよがりな固定観念を捨てれば出来る」プレーだったのだ。
理解出来なかったのではなく、理解しようとしなかっただけなのだ――。
これから……という時に絶望的な大怪我。
そんな彼にアクシデントが襲いかかる。
2015年1月に左ひざ半月板を損傷すると、そこから約1年3カ月も治療に苦しむこととなった。昨季の試合出場は僅か1試合に留まり、本格復帰を果たしたのは今年4月である。
端から見ると非常に苦しかったはずの1年に見えるが、彼にとっては大きな財産となる1年間だったという。
「とにかくサッカーの試合を、細部まで意識して観るようになったんです。以前は自分が出場できない悔しさが上回ってしまって、集中して観ることができなかったし、家に帰っても現実逃避というか、サッカーの試合を見ようとは思わなかった。でも、昨年はもう一度自分を見つめ直さないといけないと思ったし、復帰したときに、どうイメージを持ってピッチに入って行くべきかを考え続けることができた」