“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
ドリブルを、こだわりではなく武器に。
川崎・登里享平が捨てた固定観念。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJ.LEAGUE PHOTO
posted2016/05/16 17:00
チームメイトの大久保や小林から大きな期待を寄せられている登里。今季はアシスト数が登里の活躍の指標となる。
自分のプレーにこだわるうちに出場機会が激減。
こだわりが知らず知らずのうちに「自分の形じゃないと……」という固定観念になってしまっていた。無理矢理その殻を破ろうと要求通りのプレーをして、ミスを繰り返すことで自信を無くし、さらに自分の形にこだわりたくなる――その悪循環に陥っていた。
2011年、相馬直樹監督(現・町田監督)が就任すると、シーズン開幕戦でスタメン出場、ゴールを決める活躍を見せたが、やはりその時も徐々に出番が減っていった。そして夏以降は、出番がほとんどなくなったしまった。
翌シーズンには、サイドバックにコンバート。それは、決してポジティブな理由ではなかった。チーム内に左サイドバックの人数が少なく、左利きの彼が移されたということが大きな理由らしかった。結局、紅白戦にも出られず、チーム内の序列は一番下。それから、試合から遠ざかる日々を送ることとなった。
「サイドバックなんてやったこと無かった。でも、左利きのサイドバックは必ず需要があると思い、そこで何とか自分の活路を見出そうと思った。正直、当時の僕では左サイドハーフはもう限界かなと思っていたので……」
“ドリブラーとしての自分”が、完全に行き詰っているように感じていた。それは同時に、自分がプロとして生きて行く上で、危機的な状況に陥っていることをも意味した。
自分を活かす、新たなポジションを自覚した時。
登里が優れていたのは、その危機を精神的にも技術的にもキチンと把握することができたということだ。
彼は、サイドバックとしての自分を磨くこと、その技術的な課題に意識を集中することにした。
「サイドバックは攻撃の時、オーバーラップをしてスピードに乗った状態で“ワイドの位置”でボールを受けられるんです。前にスペースもあるので、自分の持ち味を出せる。だからこそ、(足りなかった)守備力を磨こうと思った」
サイドバックとして、攻撃面で自分の長所を出せることに気づいた。だからこそ、サイドバックとして足りなかった守備を強化する。屈強なフィジカルと、低い重心、そしてスピードは、そのまま守備面での1対1やカバーリングなどに活かされ、彼のサイドバックとしての能力は一気に向上した。