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ダカールラリーで部門3連覇達成した、
ハンドボール出身監督の決断。 

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大串信

大串信Makoto Ogushi

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photograph byTOYOTA AUTO BODY

posted2016/03/24 18:00

ダカールラリーで部門3連覇達成した、ハンドボール出身監督の決断。<Number Web> photograph by TOYOTA AUTO BODY

左から、ナビゲーターのリシトロイシター、角谷監督、ドライバーの三浦。3連覇の偉業を最後まで支えきった、喝采を浴びるべき大活躍だった。

元ハンドボール日本代表選手がチームの監督に!?

 角谷はもともと、ハンドボール日本リーグの強豪、トヨタ車体ブレイヴキングスで日本リーグ優勝を目指し、日本代表として世界選手権にも出場したプレイヤーだった。モータースポーツ未経験の角谷が、まったく畑違いのダカールラリーのチーム監督に抜擢されたのは2014年のことだ。

「監督という立場でチームをまとめ、運営していくのはダカールラリーもハンドボールも同じです。チーム員がそれぞれのセクション(ポジション)で、自分の力をチームのために出し切ることが大事なんです」とは言うが、クセのあるレーシングチーム、それもフランス人を中心に多国籍の人員で構成された組織の中に、モータースポーツの“シロウト”が飛び込んで戦闘態勢を整えるのは容易なことではない。そのとき角谷を助けたのは、ほかならぬハンドボールだったという。

「監督就任当初、テストで1カ月モロッコで暮らすことになった際、空いた時間に使おうとハンドボールを持っていったんです。あるとき壁に向かってぼくが普通にボールを投げていたんですが、その球が速かったらしくて、みんなが驚いて見に来て、それがチームに溶け込むひとつのきっかけになりました。フランスはもともとハンドボールが強い国で、日本よりメジャーなので、知っている人も多くて、こいつ、ただ者じゃないな、くらいの評価は得られたようです」

第一報から決断までに要した時間は30分間。

 心が通じ合うかどうかは、チームプレーを大きく左右する要因だ。角谷はまず、ハンドボールに助けられてダカールラリーの世界に自分のポジションを築いた。

 しかし、競技のすべてが自分の目が届くコートの上で起きるハンドボールと違い、ダカールラリーは砂漠の中、自分の目に届かないで競技が展開する。今年の本番、ステージ6で直面した突発事態は角谷にとっては初めての経験だった。砂漠の中で走行不能になったエースドライバーのマシンと、後方からそこへ接近する三浦のマシン。決断が遅れれば、競技の結果が大きく変わりかねない状況の中、時間は刻々と過ぎていく。断片的に入ってくる情報を集め、専門家であるエンジニアたちの意見も聞きながら、最後は角谷が決断した。

「まだラリーは序盤だ。三浦を343号車の救援に向かわせよう」

 第一報から決断まで要した時間は30分間だった。

【次ページ】 トヨタ車体のサラリーマンがラリードライバーに!?

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