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ラグビー日本代表新ヘッドコーチ、
ジェイミー・ジョセフが語る“南ア戦”。
posted2016/02/29 18:00
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Atsushi Kondo
「ハハハハ!」
2メートル100キロの巨体を少し揺らして、ジェイミー・ジョセフは愉快そうに笑った。
「日本語、まだ話せます。カンペキデスヨ」
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2月初旬、ニュージーランド南島の街ダニーデンは初夏を迎えていた。Number896号の取材で同地を訪れていた我々は午後の空港の待合スペースに彼を見つけ、試しに日本語で話しかけてみたのだった。
日本を離れてもう15年が経つというのに、かつて「博多の居酒屋で覚えた」といわれた彼のブロークン・ジャパニーズは健在だった。
「私は今も日本にゾッコンなんです」
エディー・ジョーンズの後任として、ジャパン新監督への就任が決まっている彼は今、スーパーラグビーの昨年度優勝チーム「ハイランダーズ」でヘッドコーチを務めている。チームとの契約はスーパーラグビーのシーズンが終わる8月まで残っているため、来日は秋になるという。
「その時が来たら、すぐに日本に駆けつけますよ。日本に戻るのはいつだっていい気分ですから」
1995年から2000年にかけて、西日本リーグのサニックス(現・宗像サニックスブルース)に在籍していた。初来日当初は現役バリバリのオールブラックス(ニュージーランド代表)。'95年W杯、あの忌まわしき「17対145」、日本人が今も“ブルームフォンテンの悲劇”と呼ぶ試合にも前半途中から出場していた。
しかし、3年以上の日本居住により資格を得ると、ジェイミーは'99年、「平尾ジャパン」の一員としてW杯を戦った。当時は他国での代表歴がある選手にも“転籍”が認められていたからだ。何より日本の文化、風土に水が合ったことが大きかった。
「私は今も日本にゾッコンなんです。街も人も食事も忘れられません。なので遠くからいつもジャパンを見守ってきましたし、成長ぶりにはずっと感心させられてきました」
とはいえ、あのエディー・ジョーンズの次だ。大成功を収めた監督の後を継ぐむずかしさについて尋ねられると、大きな目が真剣になった。