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殿堂入りに9年かかった斎藤雅樹。
無口、背筋、そして伝説の10.8。 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

photograph byKoji Asakura

posted2016/01/22 10:40

殿堂入りに9年かかった斎藤雅樹。無口、背筋、そして伝説の10.8。<Number Web> photograph by Koji Asakura

巨人と中日の最終戦が優勝決定の直接対決となった伝説の“10.8”。斎藤雅樹がリーグ優勝を大きく引き寄せた。

羽根が生えているようだった、凄まじい背筋。

 そしてこの類い稀な斎藤の守備力を支えていたのは、強靭な下半身と背筋力だった。

 当時のチームメイトに言わせると、他の選手とは明らかに違う斎藤の身体の中でも、とりわけ背筋の大きさは目を見張るモノがあったという。

「肩甲骨を背中側に寄せると、背中の筋肉が盛り上がってまるで羽根が生えているように見えるんですよ」

 当時の同僚からこんな話を聞いたことがある。

 この人並み外れた背筋力と下半身の強さがあるから、打球を処理してほぼノーステップに近い動きで強い球が投げられる。斎藤の守備力の高さには、裏付けがあったということなのである。

 そしてこの体の強さ、特に背筋力の強さは、もちろん肝心のピッチングでも大きな武器となった。

「困ったら腕を振ることだけを考えた」

 斎藤は現役時代を、こう振り返る。

「思い切って腕を振って真っ直ぐを投げると、だいたい外角にボールがいくんです。そうすると空振りを取れるか、悪くてもファウルでカウントを稼げた」

 そこから大きく割れるカーブ(当時はスライダーと言われていたが、斎藤自身に言わせると「投げていたのは全部カーブ」)を投げれば、相手打者のバットは面白いようにクルクル回ったのだという。

藤田監督が開花させたサイドスローと才能。

 プロ入り直後は精神的にも弱く、なかなか一軍にも定着できなかった。

 若き日の自分をそう振り返る斎藤が、転機についても語ってくれたことがある。

「いつも、打たれたらもう使ってもらえないんじゃないかとオドオドしていましたね。でも、そんな僕の背中を押してくれたのが藤田(元司)監督でした」

 腰の回転に合わせて、サイドスローに転向させたのも藤田監督だった。斎藤の才能に惚れ込み、打たれても我慢強く使い続けて、才能を開花させてくれた。

 斎藤が持つ11連続完投勝利という日本記録は、今も破られていない。その1試合目は1989年5月10日の大洋戦(横浜)だったが、8回にピンチを招き、マウンド上で「代えてくれないか」と弱気の虫が出ていた斎藤に「自分のケツは自分で拭け!」と続投を命じたのも藤田監督だった。

 そうして今やアンタッチャブルレコードの一つとなっている完投勝利記録への道が始まり、斎藤は平成の大投手と言われる活躍と実績を残したのである。

【次ページ】 斎藤でも9年かかる「殿堂」のシステムは……。

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斎藤雅樹
藤田元司
読売ジャイアンツ

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