マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「野球部」という閉鎖的な成長環境。
ある祝勝会で考えた“大人の責任”。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/01/03 10:30
野球選手は、同年代のアスリートの中でも脚光を浴びやすい存在である。それだけに身につけるべき要素は多くなってしまうのだ。
「野球がちょっと上手いだけのアンチャン」になるな。
では、教える大人がいなかったのか。
いなかったのだ。
言わなくたって、それぐらいのことわかるだろう。指導者としてはそう思いたいし、そう信じたいだろうが、若者というものは意外と言わなくちゃわからない。そんなことを……とびっくりするようなことを意外と知らない。恥ずかしながら、私もそうだった。
「今の若いヤツは言わなくちゃダメですよ。それも、口がすっぱくなるほど言わなくちゃダメだね」
学生野球指導歴40年以上、その道の大御所といわれるある監督さんが、以前そんなことを繰り返しおっしゃっていた。
それは、野球の技術的な指導のみならず、いわゆる生活指導について、さらに「うるさく、うるさく」言わなくてはいけないという内容であった。
野球部員である前に、一人の高校生であれ。
プロ野球選手である前に、一人の社会人であれ。
そのようなスローガンは、野球の現場で頻繁に目にし、耳にするが、実際に選手たちが本当の意味での高校生に、社会人になるための道しるべは示されているのか。
試合に勝つため、全国を目指すため、そこで勝ち進むための時間は十分に費やされ、大人たちの骨折りも十分に尽くされていることは認められても、「勝者」にふさわしい人格とは何か、について論じ合うための時間と空間については、正直ほとんど目にしたことも、耳にしたこともないのが“現実”であろう。
野球がちょっと上手いだけのアンチャン。
それでは悲しすぎるし、スローガンはただのお題目だったのか……ということになってしまう。
模範に、などとできないことを言うつもりはない。
高校球児、大学球児が社会の模範となって、などと出来もしないことを上から言うつもりはさらさらないが、せめて、年相応のいわゆる「常識」ぐらいはわきまえた、ちょっとかっこいい少年、青年になってみようよ。
そのために、大人の方たちは、どうかめんどくさがらずに“教えの場”を設けていただきたい。
ギャンブルには法律で認められているものもあるが、それにしても、失ってもよいお金、つまりおこづかいの範囲で行なうこと。そして、もっと大切なことは、野球しかしてこなかった者にとって、その“人生”のすべてを一瞬にして喪失してしまうほどのギャンブルが世の中にあることを、過去の事例をかかげてぜひ教え子さんたちに教えてあげてほしい。
春の公式戦シーズンまでまだ間のある今。ぜひ座学にも時間とエネルギーを割いていただき、さまざまな社会の事象についてお互い語り合うことで、社会とお互いに対する理解を深めていただきたいと、そういうことがなかった者として、強く思う。